上杉謙信公 ほっこりストーリー | Sheila∞River 最果てへの旅路を君の夢とともに・・・。

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MR. & MS. RUNWAY MODEL UNIVERSE
インターナショナルディレクター

内藤 飛鳥

上杉謙信の度量の大きさ。


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写真は

上杉子爵家 上杉孝久先生。
武士道を勉強中の羽富和大氏。

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※殿様を迎える準備中。

徳川家康は使いを出して上杉謙信によしみを通じ、武田信玄を挟み撃ちするように説いたお話があります。


村上義清(よしきよ)と息子の国清が越後に身を寄せていたので、謙信は強くこれに賛成し、

最終的に徳川家康と信玄を挟撃する同盟を結びました。

 元亀三年(一五七二年)四月、

謙信は一万の兵を率いて信州(現在の長野県)に進軍し、火を長沼に放って、遠く離れながらも徳川に助力をしたのです。

このとき信玄の子、勝頼が伊奈にいました。

その危急の知らせを聞いて、ただちに兵八百をもって長沼に向かい、謙信の進撃を防ごうとしました。

 この様子を謙信は遠くから観て言ったそうです。

「あの者は信州を守ろうと、あえて少ない兵で私と戦おうとしている。

信玄の息子として恥じない人物ではないか。

私はその勇を成さしめるために、兵を引いて越後に帰るとしよう。」

常山紀談より。


武田信玄をライバルとして認め、
無駄な争いは避けたと言われる上杉謙信。

そんな上杉謙信を描いた絵があります。
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小林清親 

《川中島合戦図屏風(裏:龍虎墨竹図)》

1910(明治43)
表:絹本金地着色、裏:紙本墨画淡彩、六曲一双屏風
各166.0×358.8cm

清親晩年の肉筆画—これまでに類例のない大作で、貴重な新発見作品です。


武田信玄・上杉謙信の川中島合戦。

その画風は独創的。

陰影を施したユーモラスな人物表現には、

錦絵漫画で培った清親の画歴の片鱗をのぞかせています。


裏の水墨画も斬新ですよね。


小林清親(1847〜1915) 

明治の浮世絵師。


幕臣として明治初年静岡に身を寄せ、

西洋画法を取り入れた「東京名所図」でその名を高めています。


私は常に、参考文献➕末裔の超え➕浮世絵


から時代背景を解析する様にしています。


川中島の鮮やかなカラー描写の裏には

モノクロで厳かな虎が吼える。


粋ですよね❤️