15. バスケ王国秋田を語る時忘れてはならない存在。それが秋田いすず自動車バスケットボール部だ! | まとい工房南天

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元救命士。今、まとい作ってます。

バスケット王国秋田を象徴する存在といったら

 

なんてったって能代工業バスケ部。

 

最近は秋田ノーザンハピネッツの活躍もあり

 

秋田県民のバスケット熱は益々さかん!

 

でもオールドファンにとっては、もっと重要な存在がある。

 

それが、秋田いすゞ自動車バスケットボール部だ!

 

昭和30年創部。一地方都市の実業団チームだが日本リーグ2部に名を連ねていた。

 

そして昭和59年、全日本バスケットボール選手権で2部のチームながら優勝!

 

その後1部に昇格し、リーグ優勝6回、全日本選手権(オールジャパン)優勝6回

 

輝かしい成績!すごいでしょう!!

 

ただ残念だったのは1部に昇格後いすゞ自動車本社に移管され

 

チーム名が「秋田いすゞ」から「いすゞ自動車」に変わったことだ。

 

秋田の名がとれて、とても残念だった...........

 

その後本社の経営再建のあおりを受け、平成14年廃部となる。

 

なんと往年の名選手では、

 

元ハピネッツヘッドコーチの中村和雄、元能代工業監督の加藤三彦などがいる。

 

と、ここまで書くと私は熱狂的なバスケファンと映るが..........

 

 

話変わって

 

実は私、バスケットとは何の縁もない。

 

ではなぜ?  はい、お答えします。

 

私は秋田市立山王中学校で吹奏楽部に入っていました。  はぁ?

 

当時秋田いすゞバスケ部は山王中の体育館で練習していました。  ほぉ!

 

それで、ブラバンとバスケが何の関係?

 

はい、ブラバンはコンクールが近づくと音楽室ではなく体育館で練習しました。

 

山王ブラバンは全国でも名の知れた存在で、練習時間も夜遅くまでやってました。

 

そこへ、疲れて仕事を終えた選手達が続々現れるのです。

 

つまり体育館を半分に分けてお互い練習していたのです。

 

とてもやさしい人たちばかりで、私たちの演奏に拍手してくれたり

 

私たちも全国レベルのバスケの練習を見て、お互い刺激し合っていたのです。

 

真剣なまなざしでひたすらポイントを狙う姿に、私たちは感動していたのです。

 

そして、時期は定かではありませんが昭和40年代の前半

 

「楽器購入の費用に使ってください」と、

 

秋田いすゞ自動車が山王中吹奏楽部のために50万円を

 

寄贈して下さったではありませんか!

 

こんなこともあって私は一気に秋田いすゞバスケ部のファンになりました。

 

バスケとは縁もゆかりもない一席、

 

ご拝読ありがとうございました!