何回でも聴きに行っちゃうもんね。
この2週間で黒岩悠さんのコンサートに2回行く幸運に恵まれました。
なんで幸運かって?
もちろん、黒岩さんの演奏を聴けることは幸運ですけど、
だって・・・・ね、情報が全くないんです。
いつも黒岩さんのサイトに時々行って、
「そろそろ何かあるかな?」とスケジュールを覗くんです。
今日のコンサートなんて、
1回目の演奏について何かブログを更新しているかな?と見に行って
たまたま見つけたんです。
一週間切っていましたから、
もう・・・・ね、幸運という以外ないです。
奇跡と言えるかもしれません。
今回は、OHAさんの都合がつかないので
2回とも一人で行ってきました。
何から書いたらいいのでしょう?
今日、聴きに行って思ったのは、
やはり2回聴いてよかったということです。
YAMAHAではシューマンの幻想曲第2・3楽章が
すばらしくて、十数年ぶりに、すごい体験をしてしまいました。
ではその十数年前は何か。
ベルリンフィルのブラームスヴァイオリンコンチェルト2楽章。
シェレンベルガーの奏でるオーボエの音に
私はシャボン玉に入って宙に浮いているようで
みんなもシャボン玉にそれぞれ入りながら
みんな一緒でもあり・・・・・
という感覚になった体験でした。
今回は、宇宙でした。
目で見ているものはYAMAHAサロンの木の壁なのに
私の目の前には無数の星々がきらめき
それは美しい体験でした。
最後の和音が美しい響きだけ残して消えていく瞬間は
圧巻でした。
黒岩さん独特の、響きに集中させられる演奏ではない、
響きに私が溶け込んでいく、普遍的に美しい演奏でした。
すばらしかったです。
おそらく黒岩さんの演奏(そんなに聴いていませんが)の中でも
秀逸に入るものではないでしょうか。
(素人の勝手な感想です。ごめんなさーい )
ちょっとここからは(ここからも(笑))素人の勝手な感想ですので
軽く聞いてください。
私にもわからないのです。
もしかしたらピアノによるものかもしれないし
音響によるものかもしれない。
何より私の鑑賞力の低さからかもしれません。
でも、それが最後には深い感動につながったので
間違っているのを覚悟の上で書かせていただきます。
不快に思われた方がいらしたら申し訳ございません。
実は、YAMAHAの時のバッハ フランス風序曲にちょっと
引っ掛かりを感じていました。
途中で、私が別のことを考え始めてしまったのです。
いつも、演奏に引き込まれるのに、なぜ・・・・?
(自分の集中力のなさを棚にあげて!(><))
最後のエコーは、
リストのダンテを演奏される時に通じるような
黒岩さんの強みというか、fffの和音の完璧さと
(素人はこう表現するしかないのですぅ。)
ppp~fffまでのダイナミズムを感じさせてくれました。
でも、序曲からエコーまで通じて・・・・と考えると
わからなかったのです。
でも、今日のバッハはすごかった。
8曲の中を共通して流れる音色。
その中で感じる
何気なく弾いているかのように見える
とてつもなく優しい音。
丁寧に丁寧に弾き続けている
全体を見通しながら、音楽を生み出していくかのような演奏。
(プロって、どの世界でも、手を抜かないですよね)
本当は、この曲名を知ったとき、
黒岩さんなら、華やかに劇的に弾きあげるだろうと
思っていました。
でも、まるでいつも使っている武器を置いて
素の人間で戦っているかのような潔さというか
覚悟を感じる演奏でした。
ものすごい集中力で(もちろん演奏中はみんな集中していますが
目が半端ではありませんでした)音楽に向き合っている黒岩さんを見て
やさしい音と、そのあきらめない、つなげていく強さを感じながら
私は感動していました。
すごい精神力だと思いました。
8曲全体を通して楽しめた演奏でした。
(私の勝手な感想おわりです。わー、素人がっ・・・・)
だからこそ音楽を聴きに来る人たちにお願いがあります。
演奏は、演奏家が自分の命を削る想いで作り上げたものです。
どうか、その演奏を不注意から壊さないでください。
携帯電話が鳴り響く、
子どもが散々ぐずったあげく、大きな音を立て始める。
飴の紙を平気でむく。
音楽に耳と身体の感覚を開いている聴衆にもつらいですし
演奏家にとってみれば、そのpppの一音にどれだけの
思いをこめているか。
それを壊すのはやめてください。
名画にいたずら書きはしないですよね?
ミロのヴィーナスを削ったりしませんよね?
演奏はそれと同じ演奏家が作り上げた作品です。
今日は、一人のお父さんが、いつの間にか
小さなお子さんを連れて外に出られていました。
周囲に気づかせずに、そっと出てくださったお父さん、
ありがとうございました。
黒岩さんのpppp(4つってあるのかな?)で歌い上げる音楽に
舌を巻きながら、
演奏は名画と同じ作品なんだと
演奏という、形に残らないものを、その時間と空間を
とても大切に思えるようになった自分に気づきました。
音楽が好き。
真剣に人が作り出したものが好き。
その神々しさに触れることができました。
ありがとう。
ぎゃーっ!ウソでしょうっ?
近頃、私の家の周りでとんでもないことが
起きています。
私の家は何度ももうしあげておりますが
築50年の貸家です。
おなじ形の家が全部で6軒並んでいるような
昔ながらのつくりです。
各家の玄関には南天が植えられ
いくつかの家の脇には大きな木が育っていました。
その大きな木は夏になれば日陰をつくり
秋には大量の落ち葉を散らしていました。
先日、何かただならぬ気配の変化を感じました。
その大きな木がすべて人間の身長くらいの高さで
切られているのです。
私はまるで台風の多い沖縄の、
家より高いものは何もない風景のようになった、
自分の家の周りを呆然と見渡していました。
隣のおじさんに聞いたら
「切っちまったよー。落ち葉の掃除が大変なんだ」
と別になんということないように話しています。
でも・・・・「趣がなくなっちゃったよね。沖縄の家みたい」
と思わず私は話していました。
私のお隣にはおばあ様が住んでいらして
確かに身体も丈夫そうではないので、
大量の落ち葉の掃除は大変だろうなとは思いました。
でも、夏に日をさえぎってくれていたものが
なくなり、風をうけていてくれたものがなくなり、
どうなるのか、私にはわかりません。
ただ、
「風景がちょっとわびしくなったな、この自然が好きだったのに」
と思いました。
そうしたら・・・・ですね。
他人事ではなかったのです。
昨日、朝、花壇にお水をあげに外に出たら
花壇に植わっていたあらゆる木がすべて私の胸の高さで
切られてしまっているんです!
ガーーーーーン!ショック!
おじさん、やってくれたな?
実は先週、
きんもくせいの周りにジャスミンがからみつき
あまりにかわいそうなので、きんもくせいとジャスミンを少し刈って
「あとは高さを少し低くすればいいよね」
(でも、書庫の窓よりはもちろんずっと高く!)
と思っていました。
南天も今年は実がたくさんついていたので
それを残して、家の脇からでていた枝もきれいに刈って
「きんもくせいと同じく高さを少し低くした方がいいかな」
(でも、私の身長より高く!!実のついている枝は残して!)
と思っていました。
それが、今年・来年は何も楽しめないくらいに短く
すべて刈られてしまいました。
昨日の状態で最もショックだったもの
ジャスミンは根元から切られていました。
南天の実のついていた枝がことごとく切られ、
たった2本しか残っていなかった。
ショックを受けて立ち尽くしている私を見つけて
(おじさんは切ってくれて感激して立っていると思っている)
おじさんが、
「大家に、高いから切ってやれよって言ってやったよ」と
得意げに言いにきました。
引っ越してきたばかりの時、隣のおじさんが、勝手に
南天の木を10本から3本までに刈ってしまい、
私は寝ぼけ眼で
「ここは私の家だっけ?」
と何度も玄関を出たり入ったりしたことがありました。
その後、切り口からモサモサ南天の枝が出てきて、
かえって手入れが大変になりました。
友人にその話をしたところ、←古い(笑)
「鍼灸の名前を”南天治療院”とかにしたら?
そうしたら、もう切られなくなるでしょう」
と言われました。
私は”他人に自分の花壇の木を切られる”という
初めての経験と友人の話を色々な人に話していたら
みんな、「南天っていいよ!」と大賛成。
-------------------------------------そうして南天庵という名前ができました。
-------------------------------------
その時は、おじさんに
「難を転ずるって言われるから大切にしているの」
と遠回りに言っただけでした。
でも、今回はきちんと話しました。
「私は鍼灸の屋号を”南天庵”としていて、
毎年、実がつくのを楽しみにしていたの。
これじゃあ、南天庵じゃなくて、半南天庵だよ
南天は縁起物なのに今年は実は無理だよね」
きんもくせいの後ろに書庫の窓があり、
ちょうど西日が入らないようにしてくれていたのが
切られてしまい、直射日光が入ってしまうので
「ここ、書庫になっていて、今まで日陰にしてくれていたんだよね。
本は日光がダメだから、何とかしなくちゃ。」
「ジャスミン、いいにおいをさせていたのに、
2年はだめだね」
おじさんは
「すぐに伸びるよー」
といいますが、今年のお正月の南天の実はほとんど見られそうも
ありません。ジャスミンは来年の春に香ってくれるのでしょうか。
これがあるから、この家を選んだのに、というものが
ここ数週間、次々と切られてなくなっていきます。
悪いことではないと直感でわかりましたが
でも、無理に笑ってウソは言いたくない。
ついつい、ネガティブな言葉が口をついて出てしまいます。
そのうち、
「おれが音頭をとったわけじゃないよ。ただ、
高く伸びすぎているから切ってやれよって言っただけで・・・・」
「蚊が増えちゃうからさ・・・・・」
自称お助けマン(自分で言っちゃうかわいらしさ)のおじさんも
ちょっと、まずかったかなと、戻っていきました。
なぜ悪くないと直感 で感じたのか。
私は変わろうと思っています。
それから少し遅れて、私の家の周りの愛着のあるものが
次々となくなっていきます。
数年前まで住んでいたアパート(人がはいらなくなって)が
とうとう取り壊されました。
あの空間に私の生活があった・・・・
取り壊されるのがわかっていたとは言え、
それはやはり寂しいものでした。
その空間で、私はいくつの仕事をし
何人の人たちとかかわってきたのでしょう。
どれだけ笑い、どれだけの涙を流してきたのでしょう。
この家に越してきたとき、旅行先で買った
お気に入りの干支のストラップが、
先週、突然、壊れました。
私が変わろうと思ったとたん、
周りの家の大きな木(私は木が大好きです)が切られ
思い出のもの・お気に入りのものが無くなっていきます。
次へ行く時が来ていて、それを選んだのは
私なのだと、静かに思っています。
新しいものを選んでいこう。
大切にひとつひとつ。
直感でわかっていても
表面的には、納得できない感情が不愉快な表情を作っています。
ネガティブな言葉が、頭に渦巻いています。
よーく、見て行くとこんなことで頭にきていたようです。
面白いですねー、人間の感情って。
・先週の私の労働はどうなるんだ? ぷんぷん! ←ちっちゃいなあ
・南天を切られるなんて!やっとつけた実を切られるなんて、縁起でもない!
←ここは日本人独特ですかね?自分の努力と実を結びつけるのは
・ジャスミン、とてもいい香りで大好きだったのに。毎日楽しみにしていたのに。
←うん、これはわかる!でもジャスミンもすっきりしているかもよ。
こんなもの、手放してしまえー!
西日 が直接入ってしまう書庫
の窓は
何とかしなくてはなりません。
何よりも早く手を打たなくては!
外から何かを垂らすには釘の位置が難しそうです。
コンクリートだから釘を打ち付けることも難しそう。
では・・・・銀色シートを窓の中から貼るしかないか。
すぐに100均で直射日光をさえぎる銀色シートを買って
窓の内側から貼りました。
「サッシの窓ってこうやって外せるのねー♪」
なんて言いながら(笑)。
これで前よりも書庫の中は、安泰です。
こんな作業をしているうちに、心も落ち着いてきました。
やっぱり人間は身体を動かしているのが一番です。
夕方から大好きな横浜のコーヒー屋さんに出かけ
港沿いを散歩してきました。
夕暮れの広い空、イキイキした木々をみて
抱きしめたいほど夕暮れ時が好きなことを実感しました。
この時間が嫌いという人もいます。
朝日の方が、くっきりすっきりして好きだと。
私は夕日で照らされた、ものみなが柔らかくうつる
この時間が大好きです。
「こういうものを感じながら暮らしていけるところに
住んでいたいな。」
小さな夢ができました。
それは自分が歩いていく先にあるのでしょう。
「変化を受け入れよう」
肚をくくるような、ひとつの覚悟でもあることを感じつつ、
今、そう思えることに安堵し、感謝しました。
穏やかに生きたい。
そう願いつつ・・・・・。
夏、到来?
暑いですねー。
今日は朝のうちに、家の周りの雑草とりをしました。
今年初めて、せみの声 を聞きました。
そろそろ梅雨明けでしょうか。
今日は、家中の窓を大きく開けて
風通しを良くして、
ハッカオイルを入れた霧吹きで
腕や首筋に水を吹きかけています。
冷房なしでも、うちわをお供にして、結構、涼しくなりますよ。
昨日、日中に(日陰ではありますが)
1時間外を散歩しました。
身体に熱がこもった感じで、
アイスコーヒーがどうしても飲みたくなりました。
アイスコーヒーは年に1回くらいしか飲みたくなりません。
(だいたいね、珈琲は淹れてから、味がどんどん変わっていくのに
これを冷やそうだなんて・・・・ブツブツ)
どうせ、飲むならおいしいアイスコーヒーを飲もうと
お気に入り の珈琲屋さんで
ちょっと高いアイスコーヒーをテイクアウトして、
電車を待っている間に飲みました。
苦くて薫り高くて、初めの半分くらいは、
おいしかったですねー。
口の中であたためながら飲みましたので
頭の熱も一緒にとれました。
でも、だんだん身体が「?」となってきました。
電車の中で実感しました。
外を歩いて、身体に熱がこもっていたら
身体が冷たいものを欲していたら
冷たい飲み物を取ると、確かに短時間で身体が冷えます。→
身体に熱がこもることで消耗する疲れ が、消えます。
でも、私には、1カップはいらないんですね。
そして氷もこんなにいらない。
夕方から、頭が痛くなりました。
靴下を1枚しかはかずにいたら、さらに痛くなりました。
お風呂に入って、厚手の靴下を2枚はいて
やっと頭痛はとれました。
ちょっと冷やしすぎたなと思います。m(_ _)m
私たちの皮膚は寒気に触れると毛穴を閉じて
皮膚近くの毛細血管の血流を少なくしたりして
これ以上冷えないように、身体の熱が逃げないように、調節してくれます。
でも、お腹の中は皮膚と違って、
冷たいものが入ってきても、そのまま、受け入れます。
だから、もろ!胃は冷えを受けてしまいます。
そして、お腹の中の冷えは簡単には取れません。
熱中症 になりやすいこの季節。
昔のように、「冷たいもの は夏にはとりません!」と
NO!
いっていられなくなりました。
でも、とりすぎれば、身体に出てきます。
お腹をこわすという直接的な状態だけではなく
だるい、頭痛、妙に頭だけ暑い など微妙な症状です。
その症状を、つかまえて、
対処すれば、数時間の不調で済みます。
昨日は早く就寝 したせいか、今日は朝からすっきりしています。
たかが冷えと思わず、丁寧にケアしてよかったと思います。
今日は、霧吹きで日中なんとか過ごして
夜、寝るときは冷房で部屋を冷やしてから寝ます。
特に夏は、睡眠は大切です。
これからの季節、通常の生活でも
エネルギーを大量に消費しますよね。
(元気に毎日過ごしているってすごいことなんです!
えらいっ!!)
だから、なるべく、体調を崩さないように
気をつけてすごしたいと思います。
水分補給、食事、睡眠、お風呂、冷え対策・・・・
自分の身体に聞きながら、その日その日の体調に合わせて
身体をいたわってあげてくださいね。
怖いくらいの夕焼け
先日、夏至を迎えました。
このごろ、ずいぶんと日が伸びてきましたが
台風が去った日に、こんな夕焼けを見ました。
家の近くの生協へ向かう、普通の道でした。
どこかに旅行に行ったのではありません。
みなさんもご覧になられましたか?
もっとパワフルで、おどろおどろしくて、怖いくらいの風景でした。
真ん中の、写真の雲は
まるで龍のようでした。
すべてが過ぎ去って吹き飛ばされて
新しい世界の夜明けに(夕焼けだけど(笑))
龍が空を泳ぎ渡るかのようでした。
ここ数週間、音楽三昧でした。(^o^)
こんなに、友人や昔からの知り合いの方の
演奏会が短期間につながるのは、
滅多にありません。
とっても幸せでした。
以前の記事で、音楽は私の必須栄養素と書きましたが
今回も、自分の身体が、音楽を吸収して
元気になっていくのがよくわかりました。
そして、音楽によっては元気がなくなるのことも
よくわかりました。
そこにテクニックはそれほど深く関係していませんでした。
一人の人がショパンのバラード4番を弾きました。
私の知らない人です。
ショパンのバラード4番は、私の大好きな曲です。
その人は、決してテクニック的に完璧ではなかったのに、
私の身体は、喜びでふっと胸が開きました。
そこには歌がありました。
いつも黒岩さんとか、このブログにコメントを寄せてくださるOHAさんとか
友人とか、完璧なテクニックを伴って、さらにすばらしい世界を
見せてくれます。
それはその人の世界です。
それはもう、うっとりしてしまいます。
だから、このところ、それが当然!と思っていましたが、
今回、改めて考えさせられました。
なぜ、私はあの演奏に胸が開いたのだろう?
何をもって歌と思ったのだろう?
その疑問を持ち続けていて
この夕焼けに出会いました。
その問いへの答えが、ふと浮かびました。
あの音楽はあの曲が本当に好きでなければ
生まれなかった・・・・と。
当然な答えではありますが、
頭では出ていた答えですが、
「ああ、そうか」と私は深く納得しました。
私はとても温かい気持ちになりました。
その人が、その曲を好きであるということに
(もしかしたら音楽が好きであるということに)
私の身体が喜びをもって反応したのでしょう。
その人は音大ピアノ科を卒業して、
音楽事務所の演奏会に出ていたのですから、
プロの一人だと思います。
テクニックが完璧でない(弾き直しちゃったり、忘れちゃったり)のは
本来なら許されないのかもしれません。
でも、私はお金を払ってでも、あの人のバラード4番を
もう一度聴きにいきたいと思いました。
夕焼けが、大切なことを教えてくれたように思います。
怖いくらいの夕焼けが。
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 1年たちました。
今年も行ってしまいました。
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012!\(^-^)/
音楽は人間の必須栄養素だと実感しました。
もちろん音楽が必須の人もいるし、
あらゆる芸術について、美術、舞踏、こそが生きるのに必要!
という人がそれぞれいると思います。
私は音楽と美術かなあ。
何がこんなに幸せなんだろう?と思うくらい
幸せ感に満ちていました。
そして今も自分の内側で音楽が鳴り始めます。
今年も、このブログによくコメントを下さる
OHAさんに連れられて行きました。
(^o^)ありがとうOHAさん。
今回は初めて有料コンサートを聴きました。
妙に安いなあ…?
と思っていたら、通常のコンサートの時間の1/2の長さでした。
ほほぅ、企画する人も初め、考えに考えたのでしょうね。
*慣習からの脱却*。
それを考えるとワクワク しちゃいます。
安く短くすることによって、色々な音楽に触れることができますものね。
聴いたのはアブデル・ラーマン・エル=バシャさんの
ラフマニノフ前奏曲です。
ラフマニノフってついつい大音量と思ってしまうのですが
(*慣習からの脱却* が必要!)
初めて聴くラフマニノフでした。
エル=バシャさんはレバノン出身だそうですが
ヨーロッパの人々はこういう音楽を日常、
聴いていてるのかもしれない、と思いました。
何て言うんでしょうね。
エル=バシャさんは、作曲もされると書いてありましたが、
和音の進行が味がある(表現ができませんm(_ _)m)んです。
前奏曲Op.3-2も、
観光地の有名な夕暮れではなく
小さな村の地元の人だけが知っている美しい夕暮れ。
そこに昔から変わらずに鳴り響く鐘の音。
家路につく人々の生活が見えるような
一日を終えた安堵感に満ちた夕暮れ、とでも言うのでしょうか。
ああ、こんなラフマニノフもあったんだ。と思いました。
ラフマニノフ自身が弾く前奏曲は
私が聴き続けてきた、大音量、武骨というイメージではなく、
どちらかというとスマート、スタイリッシュと感じました。
それとも違う。
洗練されて繊細で優しくて美しいラフマニノフ。
(素人だもんね。好きに表現しちゃうもん)
昔、音楽大学の廊下で
作曲科志望の人の弾くバッハに足が止まりました。
音ひとつひとつはそれほど美しくはありません。
でもバッハの音楽が立体的に見えてきたのです。
バッハって、こういう音楽だったんだ。
すごい!
廊下にバッハという建築物が一瞬見えました。
(あ、もちろん素人の勝手な妄想(笑)ですので、
気にされないで下さいね。)
作曲をされる方は別のものを見ているのかも
しれないなあ、と思いました。
エル=バシャさんのコンサートはすばらしいものでした。
私は二の腕が痛くなるまで手を叩き続けました。
ありがとうエル=バシャさん。
友人のOHAさんと久しぶりに会ったので
ゆっくり夕食 を楽しみました。
話は昔、一緒に働いていた職場の話へ。
当時からOHAさんは色々と食べ歩いて
何度か私はおいしいランチをご一緒させて
もらいました。
一度、おいしい珈琲屋さんでランチの時間を
オーバーして話こんだことがありました。
(お給料は減らされましたが、それが出来たいい時期でした。)
今、思えばとても素敵な時間でした。
さて、私とOHAさんが集まれば、それは
・・・・じゃーん! ←古いっ!
黒岩悠さんのピアノコンサートに決まっています。
去年のこのラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンで
たまたまOHAさんがプログラムに
黒岩さんの名前を見つけて、聴きました。
それが黒岩さんのピアノとの出会いでした。
あれから1年・・・・
私もOHAさんもがんばりましたよ。
昨年、この会場で初めて黒岩さんの
「ダンテを読んで」を聴き、
リストの意外なすばらしさを教えてもらいました。
それ以来、彼の演奏会はなるべく足を運ぶように
していました。
今回は屋内の会場でした。
(昨年は屋外の会場で、いきなり雨がビルの上から
滝のように1席に集中して落ちてきて
私たちは、リストを聴きながら右往左往したのでした。)
よく聴こえる場所 を求めてOHAさんが席を探しに行ってくれて、
入場してくる黒岩さんと鉢合わせしているのには
笑ってしまいました。
プログラムは
***************************************************
♪ラフマニノフ前奏曲Op.3-2とOp.32-12
♪チャイコフスキーの小品
(わかると思っていたらわかりませんでしたm(_ _)m)
♪プロコフィエフ 4つの小品から悪魔的暗示
(これは終了後にOHAさんから黒岩さんに聞いて頂きました)
****************************************************
でした。
ラフマニノフの3-2では最初の3つ目の和音を
ずーーーーっと延ばしてその響きを聴かせます。
「ん?」
彼の演奏を何回か聴いていて
自分の中でスタンダードになっている思い込みを
捨てて聴こうと思っていても
「あれ・・・・?よく聴く演奏と違う」
出た!(笑)
*慣習からの脱却* をしないと!
チャイコフスキーでは、一音ごとに自分の内面を
見つめることになり、内省し続けました。
うーん、重い、濃密な時間・・・・
そしてプロコフィエフ。
初めて聴く曲でしたが、黒岩さん、いいなあ。
今回、黒岩さんの演奏を聴いて、なぜ演奏会の後に
彼の世界から戻ってくるのが大変かわかりました。
黒岩さんは、響きを聴かせます。
響きを聴くことはとても集中をさせられることだと
今回、気づかされました。
かすかで、さらに小さくなっていく響きを追って
そこにイメージを乗せていく。
それはとても集中力を要する行為です。
そして、いつの間にか黒岩さんの音楽の呼吸に
自分の呼吸が合わせられています。
響き と呼吸
。
これでは、彼の世界 に引き込まれるのは当然です。
自分の音楽の世界に聴衆を引き込んでいく。
すごいと思います。
雨上がりの夜の丸の内。
久しぶりに街路樹の道を、一人選んで歩き
ゆっくりと、その日一日の余韻を楽しみました。
いい一日でした。