この数年間、思考の交流をしてきた
弟のような存在の人がいました。
 
 
 
訪れた突然の別れ・・・。
 
 
 
彼が、私に教えてくれたことは、
とても大切なことでした。
 
 
 
正論について、考え、語ることも、
正論の域を出ないかもしれないと
思いつつ彼からの学びを、
自分の戒めのために記してきた連載も、
最終回になりました。
 
 
 
 
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からどうぞご覧ください。

 

目次
 
2.自分のペースで生きるあなたへ
 
3.子どもは親に合わせて必死に歩いていた
 
4.正論はときに相手を追い詰める
 

 

 

4.正論はときに相手を追い詰める

 
正論で相手を追い詰めてしまうことって、親子関係でも、夫婦、恋人同士、職場でも、あらゆる人間関係でおこりうることだと思います。
 
私の場合、自分が気づかないところでやってしまっています。
 
過去を振り返ると、思い当たることが次々思い出されます
私の子育ては、そんなことばかりでした。
こうあるべきみたいな先入観や、社会のルールの押しつけ、いろいろな場面でやってしまっていました。
 
学校へ行くのが当然。(学校の外にも学びに場が沢山あるのにね)
 
一旦やると決めた習い事は、やり通すこと。(やってみて、違ったと興味がわかなくなることもあるのにね)
 
お友達と仲良くして当たり前。(仲良くできない事情があるときもあるのにね。)
 
自分で決めなさい。(情報を持ち合わせていなくて的確な判断ができないのにね。)
 
みたいな感じで、全て社会のルールが私のルールだと思い込んでいました。
その頃は、社会のルールが正しいと思い込んでいたのです。
良く言えば、学校教育を素直に受け入れて育ったということだと思います。
いつも正解を求めていたのです。
 
よく正義の敵は正義なんてことを言います。
立場や視野の違いで、いくらでも正義は変化するものです。
 
正論もしかり。
 
結局、絶対の正解なんてないし、
立場が変われば正解は不正解になってしまうのです。
 
そこに、気づかず、正論という一般論を軸に自分の思考を相手に押し付けていました。
 
それでも、
互いの関係が均衡を保っている間は
それぞれの思考を語り合うことで対話が成立しています。
 
しかし、
 
その均衡が崩れてしまったとき、
対話は成立しなくなるのです。
 
そして、どちらかが傷ついてしまいます。
 
私は、そんな経験を何度もしてきました。
そのたびに自己嫌悪に陥ってしまうのです。
 
その次は
自分を自分で正論攻めてしまいます。
負のサイクルに陥って、
どんどん自分を傷つけてしまうのです。
 
正論は、人を傷つけるだけでなく、自分をも傷つけてしまいます。
そんな危険を伴うものだと思うのです。
 
どうして、そうなってしまうのでしょう
誰だってみんなの笑顔がみたいはずなのに。
 
競争社会では、スピードが求められることがしばしばあります。
何でも目標に速く到達するのがよいのでしょうか。
 
目標地点だけを見て突っ走ていると、沢山の大切なものを失ってしまいます。
 
車もエンジン全開で走りっぱなしてはオーバーヒートを起こしてしまいます。
 
時には、ゆっくり景色を味わうことも必要なのです。
 
彼は、そんなことを私に教えてくれました。
 
遊び心を大切にして、人生の景色を味わう生き方をしようと思います。
 
いつか、彼の心からの笑顔に出会えることを願っています。
 
 
 
最後までお読みくださり、ありがとうございました。