おはようございます!

 

子どもと話していて

ある日言ったこと。

「顔偏差値がねー」

 

「???何?顔偏差値?!」

 

顔がかわいかったりきれいだったりすると

偏差値が高いなんていうらしいびっくり

 

「顔にまで偏差値つけてるの??」

 

学校嫌いの、教師のうそや

本質もみぬいていて

学校教育の問題に気づいていて

教育について

斬新なアイデアや

意見があり、

 

なかなか見どころがあると

思っていた我が子が

偏差値なんてことばをつかうなんて。

ちょっとショックだったガーン

 

表情の良しあしは

あるかもしれないけど

顔の良しあしなんて

そもそもないし。

同じ人を見ていても

ある人はあの人かっこいいと言い

別の人はエー、うそでしょー

全然かっこよくないよ。

 

なんてことがあり、

とてもあいまいで

感覚的で

時代によっても

変わっていくものに

偏差値つけるなんて

不可能かつ不自然で

とても違和感を覚える。

 

成績に点数をつけ

いつしか、それが、

点数の高さ低さが

人の評価にまでなって

しまいがちなのは

学校教育の弊害では

ないのかしら。

 

私も子供の頃は

テストで高得点を取ると喜び

親もほめてくれ

点数が高いのが

いいことで、すごいことと勘違い

点数が低いとがっかりしたり

私って頭悪いんだなあ

なんて卑下してみたり。

まったくもってもったいない思考

だったなあ。

刷り込みの罠に

まんまと

はまっていた?ショボーン

 

学校生活を楽しみ

生き生きと過ごせている

お子さんは

自分の楽しみや

学校生活の意義を

見つけているのですから

それはいいと思うのですニコ

 

でも、私が思うのは

学校や教師がすることは

評価することではなく

それぞれの子の個性や

才能を認め伸ばすこと

だと思う

そして

皆それぞれに素晴らしく

優劣はない

のだということを、

子どもたちの心に

届けることなのでは

私は思うのですが。

 

「○○ちゃん100点取ったのすごい!」

だけじゃなくて

 

だって、本当の頭の良さは

点数ではわからない。

智慧があるのとも違う。

人の資質は

点数で測れるものじゃないし

わからない。

 

「○○ちゃんてこのことについては

本当によく知ってるよね。」

だとか

「○○ちゃんて、誰にでもやさしくて

ほっとする。すごいよね」

なんて

相手を認め

敬意を払うことが、

あたりまえになり、

みんなに浸透すると

うまが合う合わないは

多少あっても仲間を

排除したり攻撃したり

しなくなるんじゃないかと思う。

 

海外で、素晴らしい人材を

たくさん出している学校では、

全人的な能力

の育成がなされ、

点数評価ではなくなってきており

トップダウン式の教え方ではなく

生徒自身が、

みずから答えを導き出し

正解はなく、

お互いに相手の意見や

考えをを生かしあい

みんなで協力して

最前最適の答えを導き出す

なんてことが普通に

されている。

 

生徒は、だれもが相手を尊重し

自分に誇りを持ち

生き生きしているんだろうな

と想像される。

 

教育は、本当に大切

日本でも気づいている人が

変えようとしているし

私財をはたいて学校を作る人も

おられる。

でも学校だけじゃなく親の意識も大切

私は、ここに至るまでには

長くかかり、

子どもへの教育に対しては

反省ばかりですがショボーン

 

学校の矛盾やおかしさに

無意識で「NO」を

つきつけているのは

不登校の

子どもたちでは

と思ってもいる。

 

気づき始めた人が増えている

とも感じるので

これから、変化も早いのかな

とも思える。

 

子どもたちはもちろんのこと

だれもが自分の

もつ力の可能性や

素晴らしさを信じることができ

一人一人が生き生きとしていて

ますます輝きを増していくような

世界になると

いいなと思った

子との会話でした。

 

今日もありがとうございましたラブ

 

素敵な1日をお過ごしくださいね爆笑

 

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