ガラクタソウル -2ページ目

ガラクタソウル

この地球を包むけしてやまない歌に好きだと叫ぶ。

解散ライブの後、ちょっと体調を崩してしまって、
仕事以外で動くの禁止とか酒禁止とかライブ禁止(行ったけどw)とか
あっちゃこっちゃ検査したけど結局は原因がわからないまま。
とりあえず腎臓から出血してるとか炎症起こしてるとか
そのあたりの症状が改善されて無事に復活となりました。
投薬治療も1ヵ月半で終了、酒復帰、ライブも復帰
サッカーもドラムレッスンもブログも復帰です。
あーフットサルやりたい。



と、いうことでかなり遅くなりましたがあの日のことを少しだけ。
ライブレポはこれの次のエントリに。
今まで掲載してないもののレポも、近々全部載せます。
自分が参加できた全てのライブの記憶、ね。



あの、解散発表の文章をさ。
どれから読むかで印象が全く変わってしまうんだと思う。
私はなぜか解散告知ではなく、ちひろくんのブログから読んでしまったので、
解散することの悲しさよりも、彼が脱退の決断したことの痛さの方がきつかった。
告げる言葉を探しもしたし、もっと嘆き悲しんだり、泣いたりするかなと思っていたけど
ライブ中もほとんど泣くことはなく、その後のフラカンとスクービーも全力で楽しんで踊りまくった。

コヤマは最高だ。マエさんも大好きだ。ジョーのベースは鬼だ。2バンドとも大好きだ。


ライブが終わってからメンバーと話しても、私は割といつも通りで。
笑顔で「またね」と言えることを嬉しいと思ったし
ファジカルに対して縋るような執着というのは持ってないんだと思った。
ライブが見れないこと、新曲を聴けないこと。
淋しい、悲しいと思うのは当然だけれど
今あるものは失われないし、ファジカルでは生み出せなかったものを
4人がそれぞれ創造するであろう未来を楽しみに思えば。
終わりと始まりが表裏一体だってこともちゃんとわかるし、
終わらせなければ始まらないこともわかっているから。
彼らが思う通りに鳴らしてきた音を、勝手に愛してきただけだった私は、
これからも同じようにするだけなのだ。
4人が好きなように鳴らす音楽を、私は好きなように愛する。
それが正しいんだと思っている。


正直に言うと、今生の別れを覚悟していた部分もあって、
そうなれば日々の穏やかな幸せを願うだけでいいのだと思ったし
(某バンドとかに対するものと同じようにね)
終わったその瞬間に、彼等にとって音楽はいとおしいものであったことだけで十分だと思えた。
「ライブ楽しかった」という笑顔が全てで、それでいいと。
だけど、辞められない、という言葉はやっぱり嬉しかった。


ありがとう、と言われた直後、堰をきったように泣いたのは
照明がきつかったからってことで(笑)
どれだけ小さいかけらでも、君の心に届いていたなら幸せだ。



心が震えて、世界に彩がついた。
そんな瞬間をくれた皆に心からの感謝を。

がらくたのたましいが紡いだ、芥のような言葉を原動力だと言ってくれるのなら。

いくらでも捧げよう。造語だけど、この単語も君にあげる。




受容じゃなく、肯定する。

謝るな。これは裏切りなんかじゃない。

自分の生き方を自分の心が決めた。そんなの当たり前のことだ。

声を大にしていうよ。それでいいんだって。



正しいものを選択する必要はない。

選んだものを正解にすればいいだけだ。

己の決断を誇れ。諦観するには若すぎるだろ。




最後の瞬間を、見届ける。

いつもと同じように笑って「お疲れ様」と言いに行く。

そして、未来に繋がる縁をくれるなら、その先も、末長くよろしく。



最後の一音まで、自分の音楽を鳴らして。

・My Clocks
・アマノジャク
・F-メモリー
・冬の合図
・インターセクション
・新曲(ありがとう)
―encore―
・鼓動の唄



U-stでの配信を観ておりました@トウキョウの自宅

「F-メモリー」の途中まで音が酷くてびびったw

おそらく外付けのマイクが壊れていたのだろうと推測。えらいことになってました。



配信なのでレポ、というものも書けないかなあと思いつつ。

いつもの皆だったと思います。

もちろん、吹っ切った感じとか、強い思い入れとか、そういうのは見受けられたけど。

だけど、私が大好きなFUZZY Quartet Rowです。変わらずにね。



届いてるぞ。ばっちりだ!