
書くことは、自分を生きること
本を買ってから取り組めていなかった、ジャーナリングという自分の本心に向き合うワークをようやく始めた。
中学校の時間講師は幸い、自宅で過ごす夏休みが長いために、夏休みが始まった当初は疲れと生徒に会わなくなったさびしさと張り詰めて無理していた緊張が緩んでダウン・・・。昨年12月に心身の不調から適応障害の診断を受けてから半年とちょっとで、まだ完全回復には至っていない。それからSNSとYoutubeをず~っと見ている日が数日続き、なんだか不毛に感じた。
「これは3S政策(Screen Sports Sex)に絡め取られているな!」
はたと「これではいけない!」と思い立った。
写真にある『本心に気づき、自分を生きる 書く瞑想ノート』という本には、迷ったときや悩み事がある時、常に答えは自分の外側の情報にではなく、内側、心の中にあるから、本心を1日に10分から30分かけて見つめてひたすらノートに書き続けることの重要性が述べられている。
昨日からひたすら日記を書いたり、ジャーナリングをしたり、これからパシフィックエッセンスのアバンダンスプログラムにある書くワークにも取り組もうと、ショップでエッセンスやオイル、指導書を揃えてきた。
子どもの頃、日頃の生活で不満に思っていることや、夢や希望をなんの気兼ねもなくリラックスして話せる兄弟もいないひとりっ子だったので、実家では自分がモヤモヤしたときには子ども部屋に籠もって、好きな音楽を聞きながら、ひたすら日記帳や便せんに文字を書きまくって、疲れたらキーボードを弾くという自由気ままな一人時間を過ごしていた。自分を見失わないように、気持ちを見つめて表現することによって喜怒哀楽の感情すべてを循環、昇華させていた。それがいつの間にか日記帳上で随筆文のようになったり、詩になったりしていたので、どうしても静かに過ごす一人時間が私には必須なのだ。わたしにとって、書くことは自分を生きることと同義だ。
こういう性分なので、誰かの奴隷のように家事労働に追われる主婦のような生活はどうしても窮屈で、わたしらしくなくなることに気づいた。変わり者と言えば変わり者かもしれないが、それが子どものころに身につけた言わば処世術だったので、このように過ごしたい気持ちに蓋をするわけにはいかないなと、このごろ富みに思うようになった次第だ。ジャーナリング初日にして、すごい気づきがあった。
お願いLeave me alone・・・
多分、SNSが作られたのも、テレビでスポーツの中継をだらだら流しているのも、自分の内側、本音やインスピレーションに意識を向かわせないためなのではないだろうか。
そうすれば、民衆は本音に気づいて反対意見を言ったり、命令に従わず自由に生きたり、体制に怒って反乱を起こしたりしないからね。
レイ・ブラッドベリのディストピア小説『華氏451度』のなかで、本が禁制品となった未来のディストピアで、主人公のモンターグは書物を焼き尽くす任務を遂行する昇火士だった。ある謎の少女に出会ってから本の重要性に気が付いたが、自分の妻は四六時中、四方の壁面をディスプレイ画面で囲まれた部屋でワイドショーを見ながら、主婦友達と低俗な会話を続けているだった・・・。彼女たちは垂れ流される映像情報に視覚と聴覚を奪われて、みずからの頭で考えることを知らず知らずのうちに放棄しているのだった・・・。
テレビ、SNS、LINE、PC、といったスクリーンから目を離し、本を読んでいろんなことをた感じたり、心に目を向けて日記を書いたりして、考えることに時間を費やしては如何だろうか。いろんな有益な気づきが訪れるかもしれないので、今までとは違ったライフスタイルを選択して取り組んでみる時間はとても思考がすっきりするので、皆さんにもお勧めしたい。
ちょっと前のわたしと同じように適応障害になった方も休職期間を、思い切り自分の内面と向き合ってみるチャンスと捉えてもいいと思った。



