やっと書けた、むちゃくちゃ長いです、お時間のある方だけどうぞ
気持ちって、そんなに単純な物じゃない
だからそれを伝えることって難しいし、自分でもわからない時もあるくらい奥深いものだ
だから、句にそれが込めることができた時、凄く嬉しい
最後の俳句甲子園
僕の高校は6年目の出場
僕は正選手ではない
地方予選で負けてしまったため、補欠としての出場、言ってみればみんなの応援だ
なんと情けない部長か
正直ショックだった
そのことで頭がいっぱいになった日もあった
三年しかないから、高校生の夏は輝く
でも輝くチャンスすら手にすることができなかった
後輩の一年生に対しても申し訳なく思った
僕は、一年生に自分の気持ちを伝えた
「俳句甲子園の見学に来てほしい、俳句の楽しさがきっとわかるはずだ」
一年の時、僕は先輩の応援に松山に行った
その時に俳句の素晴らしさを知った
元々、絵が嫌いだった僕は自分で何かを表現することを極度に避けていた
でも、こんなに楽しいと思える表現の方法があるんだと思って感動した
それを後輩にも味わってほしい
ほとんどの後輩達は自腹を切って松山まで来てくれた
本当に嬉しかった
彼らがどう感じたかは、少ししか聞いてない
僕みたいに感じるかはわからない
でも、何かを得ていてほしい、と思う
三年生については、リーダーのうたかたが本当に力を尽くしてくれたと思う
昨年準優勝の高校と予選で激突するも、最後の最後まで対抗し、惜敗
敗者復活も、彼の句のおかげで、準決勝の舞台に登ることはできなくとも審査員方に絶賛された(新聞にも載るらしい)
最後の最後で、うちの学校の存在感をアピールできたことは誇らしいことだったと思う
しかし、正直未練が残ってしまった
僕のクラブ運営が下手だったことが一番の原因だったろうか、部員全員にもっと俳句に対して親しみを感じてほしかった…と思った
傲慢、失礼だと言われるかもしれないが、補欠として俳句甲子園に参加して、「チーム一丸」となることができなかったように感じた
普段の句会からも、もっとみんなが楽しめるように、もっとみんなが高めあっていけるように僕が導くべきだった
俳句甲子園、出るのやめよう
出場直前にそういう声も上がった
負けるのがわかって行きたくない
こんな言葉を部員から聞いて、激しくショックだった
何のために俳句甲子園に行くのか?勝負であるからには勝つことを目標にすべきだ
それとも思い出作りのためか?
受験生にとって、夏の四日をほぼ丸々潰すのは恐ろしい(とか言っておきながら自由時間に隣の部屋からPS2の音が流れてくるのに複雑な気持ちにもなったし、僕だって効率的に勉強ができた覚えがない)
実際、準決勝の休憩時間や表彰式の間に他の学校の選手が速読英単語上級編を必死に眺めている姿も見かけた(それがいいことかどうかとか、効果があるとかないとかということはここでは問題ではない)
結局、僕は俳句が好きだから、行きたかった
ただそれだけだった
部員の気持ちは今もわからない
彼らにとってプラスであったことをひたすらに願うだけだ(僕が願うべきものではないかもしれないが)
予選のニ試合で、うちの学校のカラーをなんとなくは出せたんじゃないか、とも思った、そこが救いだった
もちろん僕自身にとっては、プラスな出来事だった、万一第一志望に合格できなくても俳句甲子園のせいだなんて馬鹿げた考えは一切しない
僕は俳句甲子園だけでなく俳句に対しても未練を残してしまった
大学入っても、いや一生かけて俳句と付き合っていきたい
それができるのも俳句の魅力だ
まだまだ下手くそだけど
もっともっと色んな俳句に出会いたい
そのために、応援だけの俳句甲子園に終わらせてしまいたくなかった
憧れの人に会えた
その人の力を借りて、来年からも俳句の世界と関わりあっていきたい
同じ俳句の好きな高校生と話して、その思いは更に深まった
色んな人がいた
俳句はやるけど環境はまだ決めてない人
すっぱり俳句をやめる人
俳人を名乗る人
色んな人がいたが共通してたのは意識の高さ
みんな、僕よりも圧倒的に俳句に対する意識が敏感だ
それはすなわち、世界をよくみてるということだ
馬鹿話しても、俳句の話になると目の色を変える彼らに、僕は感動を覚えた
こいつらなんてかっこいいんだ!
神奈川俳句大賞を締めに、僕は一端作句を止める
よっぽどいいのが思いついた場合以外
模試が失敗したからといって立ち止まってる場合じゃない
大学さっさと入らなきゃいけない理由がまた一つ増えたよ
本当に感謝してます、ありがとう俳句甲子園
俳句甲子園に対して、批判的な意見に色々触れたり、質問されたことがある
文芸に優劣はつけるべきじゃなくないか?
俳句にディベートってナンセンスじゃない?
色々な俳句があって、評価の対象は色々だ、表現技巧が上手かったりテーマが伝わりやすかったり面白かったり景が広がったり
そういった句の個性の輝きには、ある程度の優劣はある
だから僕は俳句甲子園の試合方式は、アリだと思う
でも、文芸だから読む人、つまり審査員に好みの差は当然ある
だから一人の審査員は負けたチームに対して「上がった旗の数が少なかったからといって、気落ちすることはない」と言った
そこを受け入れることができるかどうかだと思う
完全には受け入れられないから、僕が俳句甲子園で一番好きなのは旗の上がる時ではなく、披講とディベート自体なのだろう
自分ができなかった新しい見方を他人から聞くことで世界が無限大に広がることは素晴らしい
来年も、再来年も、色んな句に出会いたい
来年は、ボランティアスタッフとして帰ってきます
気持ちって、そんなに単純な物じゃない
だからそれを伝えることって難しいし、自分でもわからない時もあるくらい奥深いものだ
だから、句にそれが込めることができた時、凄く嬉しい
最後の俳句甲子園
僕の高校は6年目の出場
僕は正選手ではない
地方予選で負けてしまったため、補欠としての出場、言ってみればみんなの応援だ
なんと情けない部長か
正直ショックだった
そのことで頭がいっぱいになった日もあった
三年しかないから、高校生の夏は輝く
でも輝くチャンスすら手にすることができなかった
後輩の一年生に対しても申し訳なく思った
僕は、一年生に自分の気持ちを伝えた
「俳句甲子園の見学に来てほしい、俳句の楽しさがきっとわかるはずだ」
一年の時、僕は先輩の応援に松山に行った
その時に俳句の素晴らしさを知った
元々、絵が嫌いだった僕は自分で何かを表現することを極度に避けていた
でも、こんなに楽しいと思える表現の方法があるんだと思って感動した
それを後輩にも味わってほしい
ほとんどの後輩達は自腹を切って松山まで来てくれた
本当に嬉しかった
彼らがどう感じたかは、少ししか聞いてない
僕みたいに感じるかはわからない
でも、何かを得ていてほしい、と思う
三年生については、リーダーのうたかたが本当に力を尽くしてくれたと思う
昨年準優勝の高校と予選で激突するも、最後の最後まで対抗し、惜敗
敗者復活も、彼の句のおかげで、準決勝の舞台に登ることはできなくとも審査員方に絶賛された(新聞にも載るらしい)
最後の最後で、うちの学校の存在感をアピールできたことは誇らしいことだったと思う
しかし、正直未練が残ってしまった
僕のクラブ運営が下手だったことが一番の原因だったろうか、部員全員にもっと俳句に対して親しみを感じてほしかった…と思った
傲慢、失礼だと言われるかもしれないが、補欠として俳句甲子園に参加して、「チーム一丸」となることができなかったように感じた
普段の句会からも、もっとみんなが楽しめるように、もっとみんなが高めあっていけるように僕が導くべきだった
俳句甲子園、出るのやめよう
出場直前にそういう声も上がった
負けるのがわかって行きたくない
こんな言葉を部員から聞いて、激しくショックだった
何のために俳句甲子園に行くのか?勝負であるからには勝つことを目標にすべきだ
それとも思い出作りのためか?
受験生にとって、夏の四日をほぼ丸々潰すのは恐ろしい(とか言っておきながら自由時間に隣の部屋からPS2の音が流れてくるのに複雑な気持ちにもなったし、僕だって効率的に勉強ができた覚えがない)
実際、準決勝の休憩時間や表彰式の間に他の学校の選手が速読英単語上級編を必死に眺めている姿も見かけた(それがいいことかどうかとか、効果があるとかないとかということはここでは問題ではない)
結局、僕は俳句が好きだから、行きたかった
ただそれだけだった
部員の気持ちは今もわからない
彼らにとってプラスであったことをひたすらに願うだけだ(僕が願うべきものではないかもしれないが)
予選のニ試合で、うちの学校のカラーをなんとなくは出せたんじゃないか、とも思った、そこが救いだった
もちろん僕自身にとっては、プラスな出来事だった、万一第一志望に合格できなくても俳句甲子園のせいだなんて馬鹿げた考えは一切しない
僕は俳句甲子園だけでなく俳句に対しても未練を残してしまった
大学入っても、いや一生かけて俳句と付き合っていきたい
それができるのも俳句の魅力だ
まだまだ下手くそだけど
もっともっと色んな俳句に出会いたい
そのために、応援だけの俳句甲子園に終わらせてしまいたくなかった
憧れの人に会えた
その人の力を借りて、来年からも俳句の世界と関わりあっていきたい
同じ俳句の好きな高校生と話して、その思いは更に深まった
色んな人がいた
俳句はやるけど環境はまだ決めてない人
すっぱり俳句をやめる人
俳人を名乗る人
色んな人がいたが共通してたのは意識の高さ
みんな、僕よりも圧倒的に俳句に対する意識が敏感だ
それはすなわち、世界をよくみてるということだ
馬鹿話しても、俳句の話になると目の色を変える彼らに、僕は感動を覚えた
こいつらなんてかっこいいんだ!
神奈川俳句大賞を締めに、僕は一端作句を止める
よっぽどいいのが思いついた場合以外
模試が失敗したからといって立ち止まってる場合じゃない
大学さっさと入らなきゃいけない理由がまた一つ増えたよ
本当に感謝してます、ありがとう俳句甲子園
俳句甲子園に対して、批判的な意見に色々触れたり、質問されたことがある
文芸に優劣はつけるべきじゃなくないか?
俳句にディベートってナンセンスじゃない?
色々な俳句があって、評価の対象は色々だ、表現技巧が上手かったりテーマが伝わりやすかったり面白かったり景が広がったり
そういった句の個性の輝きには、ある程度の優劣はある
だから僕は俳句甲子園の試合方式は、アリだと思う
でも、文芸だから読む人、つまり審査員に好みの差は当然ある
だから一人の審査員は負けたチームに対して「上がった旗の数が少なかったからといって、気落ちすることはない」と言った
そこを受け入れることができるかどうかだと思う
完全には受け入れられないから、僕が俳句甲子園で一番好きなのは旗の上がる時ではなく、披講とディベート自体なのだろう
自分ができなかった新しい見方を他人から聞くことで世界が無限大に広がることは素晴らしい
来年も、再来年も、色んな句に出会いたい
来年は、ボランティアスタッフとして帰ってきます