変わり映えのない日常、学校→自習室→家の往復

それでもちょっとしたことに必ず楽しみや喜びはあります


エレベータが一階に着いた時で先を譲ってもらったり

友達と馬鹿話したり





見た人も多いと思いますが昨日は「耳をすませば」の再放送でした

10年ぶりに見たので全く忘れてたシーンとかいっぱいあったんで新鮮でした

妹とも「あ、ここ覚えてる!」とか言い合ったり



一応僕も17になったんで「こんなんないやろ~」とか五分に一回くらいは言ってましたが

逆に「ないからいいんだよな…」って思いました



本とか映画の価値ってその人によっても色々だし、忘れちゃいけないのが作品によっても色々だということだと思います



「現実見えてねえよ」って言われるかもしれない



でも現実見えてるからこそ、「あり得ない」をフィクションの世界に求めてもいいんじゃないかと


映画に限らずエンターテイメント作品の中にはそういう形の物があっていい


だから肩肘張らなくて寝っころがりながら見たらいいんです


僕が「耳すま」の隠れた魅力の一つだと思うのが、↑に挙げたような日常描写の細かさだと思うんです


お母さんが家を出てから財布忘れてまた入ってきたりする所とか

杉村にフェンス越しにバッグを投げる所とか


なんでかわからないけど頷きたくなるようなシーンが散りばめられてました


そういう日常→夢が二人をすれ違いさせる→雫の夢→っていう展開はありきたりだけど大事なテーマだなあって思います

特に夢のない自分にはやりたいことやってる雫が羨ましかったですね、年下なのに

地球屋の主人の「原石をしっかり見せてもらいましたよ」という台詞


ああ僕も磨かんと…と思いました

映画を俳句のネタに…というオチにしたかったけど作れなかった…


という普段映画見ない人間の戯言でした