ここでは閉鎖病棟での生活について書きます___ ✍🏻

私が入院を始めたのは2015年の2月です。
当時、私は19歳でした。
あの頃、生きることが辛くて死ぬことしか
考えてなかった。
どうしたら死ねるのか、どうしたら楽になるのか。
だけど、何一つ答えなんて見当たらない。

そんな中2014年の12月に
多量内服(オーバードーズ)をしました。
※略してOD 私の場合は向精神薬を使用。
それまでも度々
やらかしては救急搬送されての繰り返してました。

ただその時は、200錠ほど飲みまして、
気づいた時には5日も経っていました。
あとから聞くと、私は多量内服をした後、
父が21:00頃に仕事から帰宅したときに
部屋で吐いて倒れていたそうです。
私が内服したのは14:00頃だったので
だいぶ時間が経ってからの発見でした。
 
すぐに総合病院の循環器内科に入院しました🏥
すでに、呼吸状態が悪く、酸素濃度(SpO2)は
82まで落ちたそうです。
※大体、95〜100が正常値だと聞いてます。
そして、昏睡状態に陥っていてショック状態
だったそうです。人工呼吸器を挿管して
そして中心静脈栄養(IVH)をしていました。

首のところにカテーテルが入っていました。
私の場合は、そこから高カロリー栄養剤と
それから腎不全の一歩手前に来てたそうで
人工透析もこのカテーテルを通してしていた
とのことでした。

私の場合はこんな感じ。(ちゃっかり撮りました📷)


見にくいけど
当時カテーテルが入っていた時の写真です。

誤嚥性肺炎を起こしていたため、
経口で栄養を入れられないので
多分高カロリーの栄養剤をカテーテルで
投与していたのだと思います。
※医療のことは私は正確なことはわかりません。

結局、意識が戻ってしばらくは
集中治療室(ICU)に居ました。
そして人工呼吸器の抜管をすることに。
抜管するのってけっこう大変で、
呼吸器を抜くのはかなり辛いことです。
自発呼吸がまだあまり出来てないところに
呼吸器がなくなると呼吸出来なくなるので
そこは慎重に医療スタッフも時間をかけて
しました。自発呼吸の練習というのが
午前中かけて、午後から抜管をしました。
正直、キツくて仕方なかったです。
その後しばらくは酸素マスクしてました。

そして2週間程で無事、何も後遺症なく
退院しました。それ自体がすごいことだと、
あなたには何かまだやらなきゃいけないことが
あるんじゃないか、と言われ
私は何かしら成し遂げないと死ねないと
その時は思いました。

そして、その2ヶ月後、閉鎖病棟に入院した訳です。
そこから長い長い入院生活が始まりました。
一応これが私の入院生活が始まったもともとの
きっかけです。もともとのかかりつけの医師から
県内で古くからある代表的な某病院に転院🏥

私はその病院🏥での入院生活があったから
今の私がいるということを身をもって感じます。
もしあのとき入院してなかったら…どうなってた?
遠回りしてけど、ちゃんと退院してひとり暮らしを
始められたので、終わりよければすべてよし」です👌

次から閉鎖病棟での生活を
少しずつ書けたらと思います⭐
テーマ別に分けてあるので
また読んでいただきたいです😘💕

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