秦 最後の皇帝 子嬰(しえい)
又の名は豊都(とよのひめ)下を石頭川が流れる五丈原台地「豊都」に住んでいたからです。
秦二世皇帝胡亥(hu hai)の姉妹あるいは姪にあたる関係にあるようですが、
私は姉ではないかと見ています。
豊都は巫女でした。
巫女と言ってもそんじょそこらの巫女ではありません。
皇帝の娘で巫女と言えば巫女王です。
巫女王は全ての祭祀の頂点にいる存在で一番神に近い女王です。
皇帝と言う男王の陰にいますが巫女王の方が立場が上です。
皇帝、天皇が男系になったのはゾロアスター教派生の宗教集団を祀る藤原氏からで、それ以前は女系でした。
現代の歴史観は男系で全てを書いてありますから本当の事などわかるはずはないのです。
古代から現代まで巫女王の血筋からしか本物の王家は生まれません。
紀元前221年始皇帝の時代。
秦の都咸陽(陕西省)では年間降雨量500㎜と少なく常に飢饉の恐れがある生活。
この為秦王朝では常に雨乞いが必要でした。
この雨乞いは巫女王たる豊都の毎日の勤めです。
南の秦領山脈北斜面『褒斜』に向かい雨乞いをします。
雨乞いをする時は蓑(みの)をまとい、その姿を卑巫女(ひみこ)と言います。
卑巫女の卑に艸冠(くさかんむり)をつけます。
この字はもうどこを探してもありませんでした。
卑≒ヒシャクと言う意味があります。
卑しいと言う意味はありません。
意図的に卑しいと言う意味に使うようになったのです。
祈願する時は念願成就の形を取って祈願します。
ですから、雨が降っていなくても蓑を着てヒシャクを持って祈願したのです。
卑弥呼と言う名前も同じ意味を持っています。
卑≒ヒシャク
彌≒髪の長い 美しい(女性)
呼≒神を呼び出す鳴子
柄杓(ヒシャク)と言えば、
✨ 北斗七星✨
ですよね〜〜(^ ^)
卑弥呼は北斗七星に向かって祈願したのです。
北斗七星と言えば北辰信仰です。
北辰信仰と言えば天御中主(白山姫)です。
秦宗女豊都・卑弥呼・白山姫が一本の糸で繋がりました。
豊津の住んでいた五丈原台地(現・陕西省岐山県南部)の五は聖数で王族しか使えないのです。
象形文字で上記のように書きます。
△と▽の組み合わせから考え出された紋が
花菱です。
花菱は菱形になっています。
それが、カラコルム山脈にあるタシクルガン(石頭城)にいたサカ族(シャカ族・スサノオ)です。
香川県高松市女木島石頭川の上流に宗女豊都は静かに眠っているそうです。
香川県さぬき市に寒川町に蓑神と言う地名があります。
同市寒川町石田
石田神社
摂社 大蓑彦神社
祭神 スサノオ命・水霊神
水霊神≒那自賣神社(伊勢神宮 末社の一つ)
祭神 大水上御祖神
御裳乃須蘇姫(みものすそひめ)
みものはみの(蓑)ではないでしょうか?
伊勢神宮・四天王寺・宇佐神宮などで舞われている「蘇莫者」の舞があります。
楽曲の由来は明らかではありませんが主にニ説伝えられています。
①聖徳太子が信貴山に行く時尺八を吹いたところ山神が現れて舞った。
②役行者が笛を吹きながら大峰を行くと山神が現れて舞った。
どうも両方とも後付けのような気がします。
蘇莫者とは高昌国(新疆ウィグル自治区トルファン)の女性用の帽子です。
面が猿顔で顔全体が金漆塗りで非常に長い髪をしています。
踊る時に桴(バチ)を持って蓑を着て踊ります。
男系社会では雨乞いも男巫がするようになり扮装だけは女性を表しているように見えます。
なんだか見苦しいですね。
凛とした見目麗しい女性がやってこそ神も答えてくれるのではないでしょうか。
こうして男尊女卑が始まったような気がします。
卑を卑しい表現したのは男でしょう。
ダビデの星を信仰する人達と元々は同じでした。
ミトラ神(紀元前二千年以上前)
↓
東方ミトラ・西方ミトラ に別れた
東方ミトラ ..... イスラム経
ヒンズー教
仏教
弥勒教
西方ミトラ....... ゾロアスター教
ユダヤ教
キリスト教
大雑把ですがこんな感じです。
最後の最後に日本に入ってきた弥勒教がミトラの教えに近いようです。
その後を追うように入ってきたゾロアスター教は呪詛が中心の信仰形態を持っています。
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