伊勢神宮と宇佐神宮にどうしてタブーとなる名前をつけたのか?
タブーとは軽い言葉ですが、本来は呪詛です。
水の中でも最上級の台風・嵐・津波で本来の祝壽を呪詛し続けているのです。
誰が呪詛しているのかをこれからお話しして行きます。
伊勢神宮のある三重県
宇佐神宮のある大分県
両県には共通点がありました。
両県とも水銀・辰砂の産地なのです。
中央構造線沿に水銀が取れる場所が沢山あります。
特に三重県多気郡多気町はアジア圏でも有数の埋蔵量がありました。
縄文から水銀採掘があり特に三重県伊勢では朱砂と黄石が採れました。
中国の王族貴族階級の人々の祭祀には辰砂(水銀)と漆は、なくてはならないものなのです。
紀元前2000年前から中国やインドで沖縄産の宝貝が貨幣として使われていましたが秦の時代から銅銭に取って変わったのです。
沖縄の基幹産業である宝貝貿易から水銀へとシフトした一団が金山彦・スサノオを中心としたサカ国(スサノオ)・ハラナ国(金山彦)の双子国家だったと推測しています。
朝鮮の歴史書「三国史記」
新羅王統:1〜12代より
新羅国第4代国主
昔氏 脱解尼師今(ハキニシキ)
姓は昔(ソク)、脱解(タレ)
第2代南解次次雄の娘の阿孝(あひょ)夫人の婿
新羅王族3姓 朴 ・昔・金 昔氏始祖た。
骨正(ウズマサ、天日槍、スサノオ)の曽祖父にあたる脱解尼師尼は倭国東北一千里にある多婆那国でその王が女人国の王女を迎えて卵で産んだ子供となっている。
卵を産んだのは不吉な事として箱に入れて海に流した。
卵は金官国に流れつき、箱を怪しんだ人々は引き上げず箱は更に流れて辰韓の阿珍裏に打ち上げられた。
老婆の手で箱が開けられ中から一人の男の子が出て来た。
老婆がその男の子を育てると風格が現れ知識が人並みならぬ者になった。
第二代南解次次雄(なかつつお?)の娘を娶った。
南解次次雄が死んだ後に儒理尼師今(じゅりにしき・ゆりにしき)に王位を譲られた。
卵神話も入っています。
三国史記は記紀を参考に作られているので9割方は出鱈目ですが、多少事実も紛れています。
朝鮮半島には李氏朝鮮まで国と呼べるものはありませんでした。
それまでは倭国だったのです。
事実だけ抜き出しますと、
倭国東北一千里の多婆那国。
多婆那≒たばな≒たば≒丹生≒にゅう
丹生から水銀を造るとまるで溶かした(解した)ような状態になります。
昔の体温計には水銀が入っていました。
水銀を溶かしている状態の漢字があります。
奄(エン)
奄は燕(エン)に通じます。
燕は秦の始皇帝時代の戦国七雄の一つの国です。
燕は、ハラナ国と関係しているのですがこの事は後に....
脱解尼師今は倭国(日本)のどこで生まれたかと言うと丹生の産地でした。
三重県か大分県のどちらかだと思いますが、恐らく三重県だったと推測できます。
多気郡多気町の名前の由来を見るとタギルから来ているらしいとの事で、確かに周辺に愛宕神社が多くあります。
愛宕神社は金山彦が祀られています。
多気町の上流に奈良県吉野があります。
吉野には丹生川上神社 上社 中社 下社 があり丹生が採れた事を物語っています。
当時の伊勢の国はなんて呼ばれていたのでしょうか?
朝鮮には新羅も無ければ高句麗もありませんでしたが、でっちあげ高句麗の誕生神話はご存知の方が多いのではないでしょうか?
「朱蒙(チュモン)」
このストーリーに出てくる地名は高句麗にあります。
基本、「三国史記」は出鱈目です。
文章の中に証拠が書いてありました。
ホントに見つけて笑ってしまいました
後に書きたいと思っています。
高句麗など存在していなかったと言う事です。
中国側と朝鮮側が結託して高句麗があったと言うことにしています。
歴史の改竄は一国だけではなく周辺国、世界の主要国が全て関わっていると言うことが見えて来ました。
この地名は奈良県、三重県、滋賀県にあります。
•高句麗の東海の浜の迦葉原(かははら、かはら)
鈴鹿サーキット周辺
•東扶余(ひがしふよ)
吉野、伊勢
•北扶余(きたふよ)
滋賀
扶余≒芙蓉国(ふよう)
芙蓉とは葵の事です。
葵と芙蓉の謎ここに全てが隠されています。
芙蓉とは木槿(ムクゲ)の事です。
韓国はムクゲの国と言いますが、これもここの謎から来ているのです。
スサノオは朝鮮から日本に来た人ではなく元々日本にいたのです。
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