私事 ですが日曜日に叔父のお葬式に行ってきました。

72歳で少し早かったのですが、障害を抱えた人生でしたから寿命だったのではないか思います。

軽い知的障害、弱視、耳もよく聞こえませんでした。

2歳頃ににリュウマチ熱にかかり戦時中の事で貧しさもあり医者には行けなかったようです。

その後遺症だったのだと言う事でした。

祖父は叔父を不憫に思ってかとてもかわいがり施設には行かせず家で育てました。

もちろん働く事もさせませんでした。

そのせいか性格的にはお世辞にも良いとは言えないような振る舞いが当たり前になっていました。

私が産まれた時から存在していたので違和感はありませんでしたが、祖父母が亡くなってからは大変だったと思います。

既に同居していた次男のお嫁さんが面倒を見ることになりました。

叔父は田舎の長男ですから弟に面倒にみてもらうことは面白くなくお嫁さんが来た時から嫁いびりのような態度をとっていました。

祖父母が健在なうちは、祖父が嫁を庇っていました。

祖父母がなくなってからの20年は本当に大変だったと思います。

そんな中10年前に叔父は脳梗塞になり半身不随の後遺症が加わりました。

それでも、献身的に尽くしてきた義叔母には感謝しても仕切れないと思っていました。

義叔母とたまたま二人になった時に私の母が言った言葉がとても嬉しかったようでした。

母は、『今までワガママで大変だった弟を良く面倒見てくれてありがとう、ご苦労様でした』とねぎらったそうな。

祖父だ。

祖父が言わせたのだと思いました。

案の定葬儀会場に祖父が来ていました。

祖父は死んでからも叔父の事が心残りで迎えに来たのです。

それが、親としての最後の責任だったのでしょう。

叔父は死んだ事がわからず迷っていましたから祖父を見つけて旅立って行きました。

これで叔父も祖父も心残りなく次のステップに行けます。

叔父中心に回っていた母の実家に新しい幕があけるのです。

叔父の人生とは何だったのでしょうか?

生涯働くこともなく結婚はおろか家族とだけ過ごした人生。

ある意味では幸せだったのかもしれません。

両親、兄弟姉妹、甥姪に甘え守られてきました。

私達も叔父の存在に影響されて人生を選択をしてきたように感じます。

私は、カウンセラーになり養護教諭になった従姉妹、介護士になった従姉妹がいます。

叔父の影響があったのだと思います。

叔父は一人では何も出来ませんでしたが周囲の人々の心を動かして生きてきたことは確かな事です。

叔父ちゃんありがとう。