馬琴でなく蔦重が主人公の理由は | なのはな22のふたり言

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本・テレビ・映画の感想が多くなると思います。たまにフィギユアスケート。
ミステリーや時代劇、ビジネスドラマが好きです。

来年のNHK大河は江戸時代の代表的な出版業者・蔦屋重三郎(横浜流星)が主人公。

 

江戸時代の町人物と知った最初は嬉しかったのだが、ふと、蔦重なら滝沢馬琴を主人公にしなかったのはなぜだろうと思った。

蔦重より馬琴の方が人生で知られているエピソードが多いし、なんと言っても「南総里見八犬伝」の作者だから、興味を持つ視聴者が蔦重よりは多いのではないかな?

(※ 滝沢馬琴という表記について。ペンネームが曲亭馬琴で本名は滝沢興邦(おきくに)なので、本名の姓とペンネームの名をくっつけるのは厳密にはおかしいようだが、杉本苑子さんの本にも「滝沢馬琴」というのがあるし、耳に馴染んでいる。

むしろ「曲亭馬琴」というタイトルの本だったら惹かれなかったかもしれない)

 

馬琴の生涯については杉本苑子さんのものだけでなく、朝井まかてさんの「秘密の花園」を先月録音図書で聴いて、とても面白かった。大河ドラマに出来るだけの波乱万丈の人だ。

 

たまたまかもしれないが、今年の秋には「八犬伝」という映画が公開予定である。馬琴役を役所広司さんがやるので楽しみにしている。

ちなみに蔦重(1750~1797)

馬琴(1767~1848)

蔦重は昔、映画でフランキー堺さんやTVでは山形勲さんが演じたのを見たので、年配者のイメージがあったが、実際は47歳ぐらいで死んでいるので意外に短い人生だ。

死因は脚気衝心だとか。時代小説によく出てくる病名。

江戸住まいの人間は白米ばかり食べたので、ビタミンB1不足で脚気になり易かった(江戸患い)。

地方に住んでいた貧しい者は玄米や麦ごはんを食べたので良かったのだ。

(TVでこの麦を小麦と勘違いして喋っている人がいたが、麦ごはんの麦は大麦である。うちは夫の希望で結婚した当初から麦ごはんにしているが、すぐにそれが美味しいと思うようになった。が、他人はどうやら健康の為にそうしていると思うらしい。まあ、いいけど)

 

馬琴は80歳を超えている。しかも年を取り失明しても尚、亡き息子の妻お路(みち)の筆記を借りて八犬伝を書き続けている。大河ドラマで観たいな~。

 

蔦重の生きた時代は宝暦・天明・寛政に渡る。

徳川で言うと9代家重・10代家治・11代家斉の時代である。(念のため、年号と将軍交代には直接関係はない。天明の大飢饉の後年号が寛政になっている)

余談だが、宝暦治水事件(1754~55)を書いた杉本苑子さんの「孤愁の岸」も映画化してほしい作品である。

若い頃読んで、本に落ちる涙を抑えられなかった思い出がある。(三重県の治水神社にお参りに行かずにはいられなかったものです)

 

 

蔦重の生きた時代は様々な事件や天災があった。

それをTVドラマで描くのは無理だろうが、ナレーションだけでも伝えてほしいな。

 

そして、彼が関わった東洲斎写楽や山東京伝、馬琴や葛飾北斎らの仕事ぶりがしっかり描かれる事を期待しています。

 

 

 

 

今日もお付き合いいただき、ありがとうございました。