年を取るとともに自動的に心が大人になり、成熟するものではない。

最近、自分のことを知るにつけ思う。大人になり切れない、というより、4,5歳のままでいる自分。

 

いや、手前勝手な大人になってしまっているというほうが良いかも。

 

高校生くらいまで、「大人と子供」と対峙して考え、大人の部類に人たちを一緒くたにして何かと批判していた。

 

 

「大人」になるのも、努力がいる。最近やっと、そんなことに気が付いた。中学生のころ、「嫌な大人」と決めつけていた「大人」に自分がなっている。

 

この世界には、雑多なことがあふれかえっている。人の態度も、ずうずうしかったり、身勝手だったり、よく考えていなかったり。自分にもそういうことがたくさんあり、「大人になり切れていない」と思うのだ。

 

例えば、時間の余裕がないのに買い物をした時のこと。前の方がお財布からお金を出そうとしながらあと数円足りないで店員さんと言い争いをしている。

 

「チッ、買い物かごに商品を入れる前に値段を確認しておけよ。買い物をする前にお財布にいくらあるかぐらい知っておいてよ」と、頭の中でグチグチ、不満タラタラ。

 

さらに数十秒膠着状態が続くと、「やってられないよ、あとに人に譲って!」

 

在庫管理をしている店員さんに「在庫管理は後からでもできるだろう、空いているレジでさばいてくれよ」と思う。

 

そして、レジの前にどんどん待つ人が増えてくると、レジ前にお客が並んでいる状態に気が付かないで(無視している?)在庫管理をしている店員さんに「レジの前で待っている人が増えてきたので、レジをしてほしい」と声をかける。

 

その店員さんのきれいにお化粧をした顔が、ムッとした表情に変わり「ありがとうございます」もなく、お金を受け取り、無言のままレシートを渡してくる。

 

「エッ、そんな態度をとるの?」怪訝に思うと同時にあふれかえる嫌な気持ち。

 

たった5分か10分ほどのことだが、そのあととても嫌な気持ちが続く。

 

私の声掛けに思いやりがなかったのだ。

さて、どう表現を変えればいいのか。

 

 

こういった状況の時、よく言われる 「WIN WIN 」言葉かけ、マナーはどういったものなのか。「待たされる」「気が利かない店員さん」という感情に支配された私の行動は、この店員さんにも嫌な感情を抱かせてしまった。

 

大人になり切れない、堪忍袋が切れやすい大人にならないための修業は続く。