殺人事件は、赤の他人間で起こるより、親しい人の間で起こるという。

恋人だったり、家族だったり、友人や同僚だったり。

そんなにも、怒りに圧倒されるつらいことが続くのだろうか。

 

私は、今まで困ったこと、いやなことに出会うと、事態を解決しようと向かっていくというより、まずは逃げて逃げまくる。

殺したくなるより、自分をなくしてしまいたくなる。

誰もいない場所に逃げ込みたくなる。

相手をどうこうしようとするよりも、自分が情けないと思う気持ちが強い。

 

体が小さく、足が遅く、体育が苦手。

しかも怖がり。

突然、大きな声や音がするとドキドキしまくる。

持久力はあるが、瞬発力はない。

柔道や剣道を習ったこともないし、腕力に自信がない。

 

子供の時から、運動や美術、作文でも、賞には全く縁がない。

本を読むのも、絵を見るのも好きだけど。

 

大人数家族で一番小さく、何かにつけて面倒を見てもらったことと関係があるのだろうか。クラスでも一番小さかったし。やられることはあってもやり返せない、体力的に勝負にならないと承知している。

 

殺したい、と思ったことは皆無。

そう思い詰めるほどの、困ったことにまだ遭遇していないのかもしれない。

ひもじい思いをしたこともない。

怖い経験は、小学校を上がる前の洪水。両親が相次いで入院したことくらいか。

 

いやだなぁと思うと、黙り込んだり、下を向くなど非常に消極的で受動的な対処が主。ごくたまに、頃合いを図って言葉でやり返すくらい。

忘れっぽいので、言わないうちに消滅していく。

 

一人ぼっちになってもやり過ごせて、一人ぼっちを楽しめることが大きいかもしれない。

 

話し合いの場があれば、反対意見を言う、反対票を入れる、反対と手を挙げる。そのくらいはできる。

 

人に対して臆病なので、自分を出さないし、人にもそれを求めない。

 

私みたいな傾向をもつものが、殺したいと思い詰めるようなことがやってくるだろうか。

敗戦後日本が「戦争」をしないで済んでいたことが大きいかもしれない。

自分の住んでいる地域に、食料危機や壊滅的自然災害が起こっていないことも。

 

たまたま偶然にそんなことが起こらなかったということかもしれない。

でも、これからは果たして日本は、世界はどうなっていくのだろう。

目の前にあるわずかな食料や水を、奪い合わなければ自分や家族の命を繋げられないとしたら。

 

飢餓で苦しんでいても、若い人や赤ちゃんが満たされることを願える人間になれるだろうか、私は。