金、土、日の三日間、ラグーナ出版主催の「『一緒に考え、行動しよう。

再発見される言葉たち』  第一回 日伊大会」 にZOOMで参加した。

 

イタリア、日本から、当事者、ぴあカウンセラー、精神科医、作業療法士、看護師、家族の方など、様々な方の体験談が語られた。

 

私は、精神科訪問看護ステーションで一年ほど非常勤で勤めたことがある。

自分の拙い働き方でお給料を頂いていいのか、悩みが続き、その悩みが解消しないまま退職した。サクサク仕事をしている先輩格の同僚の仕事の仕方を見学させていただき、色々アドバイスをいただいても、どのようにすればよいのかつかめなかった。

 

利用者さんから「もう来ないでほしい」と直接言われたことがあり、結構凹みまくり、今もその凹みは続いている。

 

 

時間を守りつつ、相手を尊重してよく話を聞き、時にはアイメッセージで自分の思いも伝える。自分自身がこのような態度で接しているのか、利用者さんから認めてもらえているか、実感をできなかった。

 

コミュニケーションを主たる手段にする精神科看護。

 

利用者さんは散々苦労を重ね、それがこれからも続くことに不安と恐怖を抱いている。医療にかかるたびに、受付をはじめ看護師や医師の言動で傷つくことを繰り返し、中断や過剰服薬、自殺未遂などが続く。

なぜ一人の人にこんなにも辛い経験が重なるのかと、苦しくなった。

 

でも、私に話してくださること以上に、話せない、言葉にできない思いが沢山あるだろうと思った。

 

「経験していることを言葉にしても、それを信じてもらえないことがほとんどで、それが苦しかった」

 

「胸痛が続いても、頭痛がつらくても、きっとまた信じてもらえないと思うと、診察を受けよう思えずに、とうとう心筋梗塞になってしまった」とか。

 

 

利用者さんが訪問看護であってくださる、話をしてくださる。次の訪問で笑顔が見られたら本当にそれだけでほっとした。

 

この日伊大会で、ここの体験から紡ぎだされる言葉。

 

内的体験を言語化した言葉の数々。

 

あっという間に三日間が終わった。

 

「悪い人は病気にならない。」

「ちょっとみんな悪い人になれば病気にかかりにくくなるかも」

「当事者失調症の精神科医」

「いい治療が行われていれば、精神科への偏見は無くなる」

 

中でも、自分の病が治るという希望を持ち、自分を信頼し、さらに病を治すために自分で自分に責任を持つ、という言葉がが心に残った。

 

希望、信頼、責任。

 

中井久夫先生が、診察は患者に希望を与えることと、言っていたことを思い出した。

 

精神科に限らず、がんの末期でも寝たきりが続いている方に対しても、医療者が医療を求めている方と接するときに一番大事なことなのだと感じた。

 

この三日間、メモも取らずただじっと言葉を聞き続けた。

自分の心がただ感じる事だけに集中してみた。

 

精神科で働く機会はないが、日々「希望、信頼、責任」を大事にして過ごしたい。