日本で、『美しい「自然」』『「自然」が豊』などで、使われる「自然」がさす風景のほとんどは、人の手が加えられた「自然」だという。青木ヶ原樹海など手つかずの原始的自然は殆どないに等しい。

 

「砂の器」の冒頭シーンの10分間に描かれている風景の殆ども同様に、人の手が加えられている。農山村に行くと、田や畑、屋敷林など緑にあふれているが、あの風景も人間が作り出したもので、100%ピュアな自然ではない。

 

何百年にも何千年もかけて作り出した人間にとって心地よい自然。

 

いま私たちは、その「自然」を「再生不可能」なものにして平気でいる。

 

1980年代くらいまで残っていた都市部での個人宅のお庭が、最近の耐震化を目指した建て替えで失われていく。

 

都市の幹線道路でも、桜の木の根がはっているので、その木々が迷惑だという人が出現している。

 

まぁね、人間中心主義もここまで劣化するのかと、唖然としている。

 

地球温暖化で、猛暑日が続くことで、やっと都市の緑が必要と言われ始めているが、でも宅地の樹木も街路樹も、都市開発という名目でどんどん失われていく。

 

私の住んでいる区でも、緑化率は減少しているが、来年度の予算説明で「緑」の保全についてほとんど触れられていない。行政に詳しい人に言わせると、区が環境についての予算をどんどん減らしているのだという。反対に都市再開発には予算が割かれている。

 

こういう流れをどこでどのように変えて行けばよいのか。

 

区政資料に目を通し、区議会の各政党の方針を知る中で、自分自身の認識を作り変える必要がありそうだ。