「#Me Too」6年 映画業界の今 

 

東京新聞 2024年3月2日,文化娯楽欄  ジェンダー平等とともに で、

インティマシー・コーディネーターの西山ももこさんと、

WOWOWプロデューサー鷲尾賀代さんの対談が掲載されている。

(一部抜粋、一部要約しています。)

 

インティマシー・コーディネーターとは(この記事によると)

 

映画やドラマなどの製作現場で、性的描写やヌードなど体の露出があるシーンの撮影を巡り俳優の「同意」の元で安心して演じられる環境を整え、同時に監督など政策サイドの演出を最大限実現できるようにサポートする職業。

 

日本にはまだ二人しかおらず、西山さんは2020年に資格を取り24年2月末まで映画、ドラマ、舞台など12作品に関わったという。

 

「同意」とは、明確にかつ積極的にイエスということ。

 

「嫌だ」は尊重すべき。

「なんで?」と理由を聞きがちだが、プレッシャーになるので気を付ける必要がある。

 

日本人は断ることに慣れていなくて、「それはちょっと・・・」みたいな逃げ方をすると「分からない人には分からない」「分かっていてもごり押ししてかぶせてくる人」もいる。結局「YESのほうが楽」と自己犠牲を選んではいないか。

 

逆に日本人はNOと言われることにも慣れていない。私は(西山さんご自身)断られても平気。参考になるのがアフリカ人の「気やすくとりあえず頼んでみる」感覚。気やすく声かけて「ダメ元」なので、断られても自分のパーソナリティの否定ではない、と切り離して考えられると、お願いする、断られる、のハードルが下がって楽になる。

 

以下略

 

 

 

同意とは、どういうことか、もう一度確認しよう。

 

勝手な自分の思い込みで、相手の意思を損なう行為があちらこちらで散見される。

 

同意とは、他者に同意を求めてどのような返答があってもそれを尊重するという考え方。各個人が身体の自立性を持っていることを確認し、その人にとって快適なものを選択する権利を持ち、各個人が尊重されるべきであるという考え方。

 

昨今のパワハラやセクハラなどの報道を耳にするにつけ、地位の上位者がすべてにおいて権力があるという誤解があるように思う。相手が従うことを前提にして行動しており、相手から不同意があるとは考えもしない。親子でも、夫婦でも、官僚機構の中でも、相互に尊重しあえないと、支配・被支配の関係に巻き込まれる。

 

以前ニュースで、ある国務大臣の担当職員に対する命令口調や恫喝と思われる言動に驚いたことがある。まるで奴隷社会の王族のように、国家公務員にかしずくことを強要していた。「大臣がなんぼな者??」、大臣一人では何もできないくせに。国会答弁では官僚が質問に対する回答書を夜なべして用意しているとか。こういった輩が、不祥事を起こしても当然だと思えた。

 

政治の世界で、与党は圧倒的に男性優位で、女性議員は重要なポストについていない。たとえポストについても、その仕事を国民とともに、精一杯力を尽くしているとも思えない。

 

与党社会の中でのトップの示す優先順位をそのまま踏襲しているかのごとく。

 

多分、かれらの社会では「NO is NO」はないのだろう。

 

勇気をもって「NO」ということと、相手の「NO」を尊重することは同じだと思う。

 

相手の嫌なことはしない、幼い時から言われていたことを思い出す。