私が他者の視線がもつ温かさにはっきりと気が付いたのは、両親を亡くしてからのことだ。

 

実家に帰れば、両親や兄弟に合えれば、彼らから私に注がれる視線、声、微笑み。

何もかもが温かい。親しくしている友人や知人のそれよりも、何もかもが許しと受容に満ちている。

 

齢40や50を超えれば、当然だが、周りから与えられるものよりも、周りに与えることが多くなる。自分自身も与えられることを期待しない。何事も普通にやり通せて当たり前、とされる働き盛り。そのような境遇でも、親ばかりは子供の存在そのものを喜んでくれたものだ。お土産がなくてもお小遣いを渡さなくても、会えたことだけで喜んでくれる存在。

 

私がカメラを持って両親の写真を撮るとき、レンズに向けた両親のこぼれるような笑顔と信頼観と慈愛に満ちたまなざし。

 

両親なき今、私がとった写真に写る彼らの笑顔とまなざし。

 

どうしようもなく落ち込んで立ち上がれないとき、あの良心のまなざしを脳裏に浮かべる。

 

私は、両親の間に生まれ育てられたことをありがたいと受け止められるようになった。親の人生を肯定的にとらえられることで、自分自身をも肯定的に受け止められるようになった。僻みやすい私も、少しは冷静に自分の感情や立場を見つめられるようになった。

 

その過程は苦しかったが、多くの方に支えられ(読書や会話、心理療法など)やっとたどり着けた。元々ぼんやりしがちで、興味があることに集中しやすかったり、素直に言動を受け止めたり、どちらかというとおとなしい性格と思われやすいこともあるが。

 

永山則夫死刑囚の精神鑑定を、300時間弱の時間を費やして行った医師の言葉がとても深い。永山自身はこの精神鑑定を拒絶し、裁判でも使われることはなかったというが、PTSDが脳の及ぼす影響などとても示唆に富む。

 

毒親という言葉が頻繁に使われるようになってきたが、毒親と呼ばれる親にもそうならざるを得ない歴史と社会環境があると思う。子供が生まれたとき、その子の誕生を喜び良い親になろうとしたはず。10カ月の長きにわたり、妊娠し続けること、出産の痛み、子供を授かるまでの長い過程。

 

PTSD 心的外傷ストレスは、自然災害や事件の時によくニュースになるが、ネグレクト育児放棄や虐待、いじめの経験もPTSDとなる。しかも幼い時に受けると脳の成長にも偏りが生まれ其れが精神の変調ともつながると言われている。

 

親の存在そのものが支えになることが望ましいが、その親の愛を受けられない人も世の中にいる。永山死刑囚や京アニ事件の被告もそうだったと思う。永山死刑囚は母親の人生を精神科医より知らされた時母への怒りは低減したともいう。親をどう受け止められるか、犯罪に突き進む人のブレーキにつながるように思うのだが。