新聞のコラム欄で、お笑いタレントの松本某に、若いお笑い芸人が「女性を献上」したという表現があった。週刊誌記事をもとにした感想と言った内容なので、信ぴょう性はどれほどあるのかとも思うが、現代でも圧倒的に力の差がある目上の人に、物として「女性」を差し上げるということが行われているということに愕然とした。

 

ある意味自分の出世のために、女性を利用するということ。その女性にどんな代価が支払われるのか不明だが、平成生まれの若い男性がそういうことを行えるとは。そういうことを求めることに罪悪感もなく、周りのものもそれを知りながら起用し続ける。

 

男性にとって「性行為」とは何なのだろう。戦争という狂気で人々が突き動かされるときに、軍の将校が敗走する敵に食料と安全を守る代わりに「女性」を要求する。

兵士として戦場で闘っている妻には「性接待」をさせられないので、18歳以上の若い女性にそれを依頼(現実的には命令ではなかったのか)。そして帰国後は、その案内係が自分たちを救うために犠牲になった女性たちを中傷する。なぜそのような態度をとらざるを得なかったか、帰国した満蒙開拓団に対する差別や蔑視があったのか、喜んで中傷をしたのではないと思いたいが。

 

随分前に、敗戦時に大阪で働いていた方が進駐するアメリカ軍の兵士から凌辱を受けないために、丸坊主になったり墨を顔に塗るなどしたという話を聞いたことがある。兵士が女性に暴力をふるうかもしれないことを、危険視することができたのは大人たちが何を知っていたからなのだろう。

 

兵士が戦争という過酷な状況で、興奮する精神を慰撫するためには「慰安所」が必要だと言い切った歴史家がいたが、この考えに理解を示す人がいるのだ。

 

99歳で亡くなった佐藤氏は、私の母と10年遅く生まれている。取材に応じた子息たちがほぼ私と同年代。佐藤氏は、同胞を救うことができたことを誇りに思う、と堂々としていた。どんな歴史があったか、しっかり発言することの大切さも説いている。

 

このような歴史は繰り返してほしくないが、戦争という狂気に駆られた状況でなくても、女性を物として扱う文化がまだまだ残っている日本。

 

松本某のファンの人たちは、満蒙開拓団の性接待や日本軍の慰安所をご存じだろうか。