父との思い出は、楽しいもの、思わず笑ってしまうもの、暗く悲しいもの、しんみりとするものなど本当に様々だ。

 

思い出すだけで辛くなるのは、面前DV。目の前で父が祖母や母を罵り、暴力をふるう。恐怖心で心が一杯になり、その場を離れる事さえできない。

 

母が骨盤骨折をして一か月ほど入院して帰って来た時、子供の私は久しぶりの母にまとまりついて離れられない。その母を、父はなぜケガなどしたのかとなじる。まだ7歳であった私は、「そんなこと言わないで」と父に言えず、母と一緒にいられる嬉しすぎる気持ちが一瞬に曇ってしまった。

 

よくよく思い出すと、怖い父だけでなく、優しい父、穏やかな父、可愛い父の姿もある。

 

麦踏をする父の背中におんぶされて、父の背中の温かみを感じながら、小鳥の声を耳にしながらウトウトしていたこと。

父の膝に乗り、父の思い出話を聞く。

早朝はニワトリを放し飼いにするのは父の担当。方々に散っている鶏に「ホーッ、ホーッ」と声を出しながら踊るようにニワトリを小屋に追い戻している父。私の視線に気が付いた途端ギョッとした顔をして踊ることをやめて恥ずかしそう歩き出した。

里芋を食べすぎると冷え性になるという大人の話を聞いた私が、「あたいも冷え性になりたい」と聞いて、翌年から里芋の栽培を増やしてくれたこと。

トイレがくみ取り式だったころ、肥料にするために一定期間寝かしておいた後、天秤棒で担いで畑にまく。雨が降った後に、担ぎながら足を滑らして転んだ拍子に体に肥がかかってしまった。父は何も言わず一人で後片付けをして体を洗って知らん顔をしていた。目撃者は私一人。

 

私の感情の中で最大の力を持つものは恐怖心だと思う。

人になつかない野良猫が、恐怖心からシャーシャー言い続けて人を寄せ付けない。恐怖心だけで心が一杯でそのほかのものが見えない、聞こえない。

人生を重ねて、父が生きた時代のこと、父が受けた社会の出来事などを知るにつけ、度重なる困難を切り抜けようと懸命だった父の姿が見えるようになり、父に対して温かい目を持てるようになってきた。

 

妻や子供にしてあげたいことは山ほどあるのに、現実には無理なことが一ぱいあり、親として家長として一番つらかったのは父かもしれない。

還暦を過ぎた今の私は、「お父ちゃん大変だったよね、よく頑張り通したね」と話しかけることができる。母に対しても、祖母に対しても。

 

父が若かった時に生まれた長男の兄。私以上に父の荒ぶる薫陶を受けて育ち、20代で結婚してから、父と同じように厳しく子供たちを育てたようだ。家長として妻に対して支配的で、義姉は何十回と電話で泣いていたのだという。

 

DVは連鎖することがある。

 

父や兄に、「あれはDVだよ」と話したら、きっと「そんなつもりじゃなかった」と言うに違いない。「心配だった、真っ当に育ってほしかった」「人間として曲がったら困る」いろいろな思いからの暴力だったかもしれないが、受ける側にはその思いは伝わらない。

 

殴らないと分からない、の究極は戦争だろう。

イスラエルが「勝つまで闘う」と宣言していたが、力(武力、暴力)による支配がもつ誘惑はエンドレスなんだろうか。

 

私自身は、「恐怖心の支配」から自由になる試みを20代からしてきたが、少し自分の心の仕組みに気が付くようになったばかりだ。

 

差別や不平等から自由になれる日が、人類に訪れるのはいつになるだろうか。