「重ねるハザードマップ」を見ているうちに、防災科学研究所の「自然災害年表マップ」を知った。

「自然災害年表マップ」は、地図×年表を可視化して、都道府県ごとにいつどんな自然災害が起こったかが分かるもの。「災害事例の地図化(可視化)アプリケーション」という説明がされている。1600年間の自然災害事例を発生年別に、地震災害、火山災害、風水害、斜面災害、雪氷災害、その他の気象災害の6つに分け、市区町村の地域防災計画の過去の災害事例としてその概要が載せられている。
(市区町村の防災計画に掲載されていない事例もある)

年代別、災害別、全災害がどの都道府県で発生したかが分かりやすいが、残念ながらこのデータベースでは、関東大震災や明治三陸地震など広域に発生した自然災害についての全体像は把握できない。関東大震災については、東京都心の災害事例が欠落しているのは、23区の防災計画が立案されていないことが理由かは不明。和暦の入力が誤っていたり、同じ自然災害が重複していたりと言った、ヒューマンエラーの可能性が高いデータもある。

明治以降の自然災害を年ごとにみていくと、自然災害が記録されていない年があるものの、日本全国のどこかで自然災害がほぼ毎年起こっている。地震に限れば、1891年 濃尾地震、1896年 明治三陸地震、1923年 関東大地震、1927年 北丹後地震、1933年 昭和三陸地震、1943年 9/10 鳥取地震、1944年12/7 昭和東南海地震、1945年1/13 三河地震 と立て続けに起こっている。

濃尾地震で関西が、関東大震災で東京・神奈川・静岡など関東地方を中心に被害が起きたが、その後も軍備増強や植民地化政策に突き進んでいく。1925年の治安維持法制定後、普通選挙(男子で高額納税者)。3.11後に「アンダーコントロール」と主張して、東北の被災地の復興よりも東京オリンピック招致を優先した国。戦前においては、自然災害がひどい日本だからこそ、大陸や南方に進出すべきと考えたのだろうか。

1943年から敗戦までの約2年半に大きな地震が起きて、空襲が激しくなっても、沖縄で地上戦が起こっていも、最後まで闘うという決意を覆せなかった日本と言う国。戦地で肉親や恋人を亡くし、自然災害で家や土地などを亡くし、さらに空襲が追い打ちをかける。それでも、戦争を終結させられなかった日本。一人一人の名もない国民より、「国体護持」を優先した国が日本だったと断定してもよいと思う。

1943年の鳥取地震では、男性は戦地や徴用でいなくなったために、亡くなった方の65%は女性だったという。本土決戦の前に、すでに自然災害で疲弊してしまった地域があったのだ。そういう地域でも、国の要請だからと、戦争に協力していたんだろうか。

敗戦直後の日本の貧しさは、戦争を進めるために暮らしに必要な政策に取り組んでこなかったことも大きな原因ではないかと思う。
明治維新以降、富国強兵策がとられていたが、「富国」とは工業化、都市化のことであり、日本国土の強靭化については二の次、三の次になっていたのかもしれないという印象を強くした。

私は理科が嫌いで、中学1年生の時「風はどちらからどちらに吹く?」と教師に質問され、「右から左ですか」答えて教室中の笑いものになったが、全く傷つかず平気だった。古希が近づいてきたこの年で、やっと、ハザードマップ、降雨量、プレートテクニクスとか、気象や地球のことを知らないとまずいかもしれないと、思うようになった。

自分を育んでくれた日本がある地球。足元の地球のことを知りたくなってきた。