韓国の雑踏での圧死事件の悲惨さには、言葉もない。

 

日本でもここ10年ほど、ハロウィーンの仮装がクリスマス並みに一般化している。9月初めに老舗の和菓子屋さんでもハロウィーンのおせんべいを売り出すほど。

 

新型コロナのパンデミックがまだまだ続くと予想され、ウクライナ戦争の長期化や、韓国も日本も就職難や受験戦争や、格差の拡大など不安材料が多すぎる。

 

自分の10代、20代だったころを考えると、はやりのものに惹かれ、混雑するのを承知で祭りに出かけたり旅をしていた。

 

日本の威信をかけて、事故を起こしたくない、とばかりに制服警官やDJポリスが街中で規制を続ける渋谷ハロウィーン。

区役所の職員が一晩中、警備を続ける。

 

一方で素直に従って進む若者たち。

 

朝になると、街にごみが散乱している。

 

なんだかなぁ、違和感がある。

 

社会の庇護下で楽しむって、なんだかなぁ。

 

日常で押し殺しているエネルギーをこの際とばかり、吐き出しているかのように見える。

 

 

この催しものを無事に終えるために、動員される警察や区役所職員、民間の警備員。

 

生活保護に不正受給の疑いには、税金の無駄遣いと批判する人々が、この催しものの警備にかかる費用については、全く何もおっしゃらない。

 

若者や国民の不満のガス抜きと受け止めているかのよう。

 

 

 

都市で行われるお祭り騒ぎって、こうならざるを得ないのだろうが、見えない大人たちの商業主義にまんまと乗っかっているって感じがする。