新型コロナウィルスの感染者数(厳密にはPCR検査陽性もしくは臨床診断)の報告を、毎日毎日気にして夕方5時すぎのTVニュースを見ていた日々。

 玄関、トイレ、脱衣室、リビング、台所の流し、テーブルの上には消毒液、窓はいつも開けておき、

 マスクをして、バッグには消毒液と石鹸、ビニール袋、替えのマスク、懐紙が必需品になった。最近は特に意識することなくごく普通に行っている。

 

 2020年秋の退職後は、買い物以外の外出はせず、友人とはラインか電話。とにもかくもおうち暮らし。

 

 スーパーの入り口で手指の消毒を済ませてから、布手袋をしてかごを持ち足早に買い物。できるだけカード払いにして現金を扱う回数を減らしたり、外食を控えたり。ごみを捨てるときに、マスクをして、朝早めに他の人に会わぬように気をつけたり。

 

 1回目のワクチン接種した1カ月後くらいからボチボチ外出をして、また働きだして。電車のつり革をもたず、ひたすら黙り続け。

 

 寒い日でも、職場にいる人が複数になったら、1時間に1回5分間。タイマーを使って玄関を大きく開ける。

 台所の換気扇と、サーキュレーターを使い続ける。

 

 感染者数が3桁、4桁、5桁と増える中で、いつしか夕方のテレビニュースを見なくなり、ウクライナ戦争が起こってからは、あまりにも悲惨すぎて、テレビや新聞を見たくなくなってしまった。

 

 7月中旬からの感染者数の増強は爆発的で、都内の奥多摩などでも感染者数が報告されるようになり、今までさほど感染者数が多くなった自治体でも3桁、4桁。

 

 東京23区の文京区や板橋区は医療機関が多く非常にアクセスしやすい地域でも、1時間以上も道路に止まった救急車を見ることも。入院病床数が少ない地域では、本当に大変なことになっていると想像に難くない。医療従事者の感染者数が増えて医療を継続するために、全国に支援を呼び掛けたり自衛隊の応援を得たり。

 

 人類が経験したことのないパンデミックにどう対処するか、ここ2年間のニュースの見出しを追い、自分の暮らしを振り返ってみると、言葉にできないほどの大変さが身に染みてくる。自分も同僚も、すべての人の。

 

 最近になってやっと、厚労省や感染研、東京都保健福祉局などの公的な発表資料をやっと見るようになった。第一線で働く人たち(科学者たちやそのデータをまとめる事務方)が、丹念に事実を観察して資料にしていることが伝わってくる。TVなどのメディアは限られた時間やスペースに合わせて情報を加工したり、わかりやすく伝えるために省略を重ねることもある。ひどいと思うのは、この分野の研究や治療に携わっていないのに、「医師」「教授」「学者」などの肩書で勝手な解釈を断定的に披瀝したりする人々が少なからずいること。

 

 つい昨日、驚いたことは、「新型コロナウィルスのパンデミック」がデマだと主張するブログが存在すること。

 

 聞いたこともないような専門用語が続く内容は、理解しがたいことは事実。ことに学生時代に分子生物学をはじめ、遺伝子レベルの知識を学んでいない私は、本当にチンプンカンプンで困った。

 

 でも、自分が分からないことと、科学的な明らかにされた事実をごちゃ混ぜにしないことも大切なのだと思う。

 

 パンデミックが始まったころ、ウィルス研究者が言及していたこと、ウィルスの原因の疾病の根絶はワクチンしかない、感染予防の基本的なことを続けるしかない、未知のウィルスによるパンデミックは今後も続く可能性が高いなどは、2年経った今も変わっていない。まだまだ何年か続くかもしれないが、きっといつか落ち着くときが来るはず。

 

 消毒薬やマスク、密を避けることが、自分の習慣になってきた。他者と近い距離の時は馬鹿笑いをせず、大声も出さなくなった。それでいいのだと思う。

 

 鏡があると知らないところで、目の前の変なおばさん誰?と、落ち着いてよく見たら、鏡に映った自分だったなんてことがあったけど。訳も分からず、時代が進んでしまう現代って、こんなことなのかもしれない。

 

 認知症になり始めたころの母が、子供や孫を前にして「おみんな様、よろしくお願いします」と頭を下げた姿がまだ目に浮かぶ。私も、きっと母と同じような思いを強くする日がきっとやってくる。その時、自分の周りにいる人を信頼(依存)できるか、

古希まであと3年の私の課題でもあるように思う。