東京新聞の8/7朝刊の、こちら特報部から

 

 障害者権利条約 初の対日審査

 「『医療保護入院』今こそ廃止」「『地域でサポート』世界潮流」 という記事(木原育子)を読んで。

 

3.11の時、福島県内の精神病院での被爆から逃れるために、他の精神病院に転院された方のお話。病状が落ち着いても家族の反対のために入院が30年以上も続いた。原発事故のためにやむなく転院したことで、地域での生活移行への支援が行われ、アパートでの一人暮らしを始めた。一人でお酒を飲みに行きごく普通の会話をしている場面もあった。(nhk のドキュメンタリー番組)

 

障害者の中でも、殊に精神障害者については入院から地域での生活がなかなか進まない。日本の精神病院数は世界一で、特に高度経済成長期に大規模民間病院が増え、宇都宮病院事件後にもいろいろな医療機関で入院患者への暴力や虐待が告発されている。

 

 ※因みに、2017年9月の糖尿病の退院患者の平均在任日数は、男 26.7日 女 42.5日 対して、

                  精神疾患では 男 278.4日 女 276.0日 (男は約10倍、女は約7倍)

 国民医療費は、2018年度で、糖尿病 1兆2059億円、精神及び行動の障害では、1兆9206億円(約2兆円!?)

                          

 

新人看護師時代、大学病院では、他診療科との混合病棟に気分障害や統合失調症などの急性期の方が入院されていた。適切な薬物療法のためもあり拘束なども一切せずに他の患者さんとトラブルを起こすことなく短期間の入院をされ自宅に帰っていった。入院することで日々の煩雑な生活環境や家族環境から離れて、治療に専念できる方だったとも思う。うつ病の方は、新聞もテレビもその内容が全く理解できないと、布団にくるまってずっと過ごされていた。ある日検温でベッドサイドを訪れると、「今朝はラジオのニュースが分かりました」とご自分から話をしてくださった。

 

治療が遅れて様々な生きづらさが重なり、治療が複雑になったり長引いたりすると、治療が難しくなり、地域での暮らしへに戻れなくなってしまうのかもしれない。

 

今働いている事業所でも、訪問看護で精神障害の方をお伺いすることがあるが、身体障害の方が住む住宅と比べてびっくりするほど狭い。腰痛やひざ関節痛などあっても、エレベーターのない建物に住み、1Kで台所と浴室、居住スペースを合わせて6畳くらいの狭さ。ユニットバスがあるが浴槽が狭く縁が高いので、浴槽に出入りできない。浴槽の隣の洋式トイレに座って、やっと洗髪したり体を洗っているという。勿論、玄関などに手すりがなく、クローゼットを開けるためにベッドを置くスペースもない。

 

そんな住まいでも、家賃が7万ほどになり、1LDKなどのもう少し広い部屋を借りることができないという。

 

精神障害者で生活保護を受けている場合、東京23区の比較的都心から離れている地域でも、生活保護の住宅扶助額は5万円くらいが上限だという。それ以上の価格の物件しか見つけられないときは、その上限を超える額は自費になり、福祉事務所の担当者から生活扶助内に収まる住宅に転居するように再三指導されるという。

 

自ら選んだ住まいで自分らしく暮らす「地域移行」を国は勧めているが、そもそも自ら選んで住みたいと思える住宅が用意されていない。選びたくても選べる住まいがない。精神障害者で生活保護を受けている人は、その選ぶ権利も実質的にはない。

 

憲法 25条には、以下のように生存権が規定されている。

 

 第一項 すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 第二項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障および公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 

憲法25条では、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有すると明記されているが、生活保護法では、住宅に関して人間らしく暮らすための「最低限度」の住まいについての規定がなく、保護基準は各自治体による扶助額(しかも公表されていない)が示されているだけ。

 

10年ほど前には、生活保護世帯がエアコンを設置したところ、生活保護世帯では贅沢とされ、エアコンを外せという指導がされたという。やっと昨今の猛暑で屋内で熱中症で死亡されるケースが増えて、生活保護でエアコンの購入が認められるようになった。

 

プライバシーが守られ、快適に暮らせる最低基準の住宅の条件はどういうものなのだろう。

 

30年ほど前、朝日新聞の記者が「寝たきり老人がいるのは日本だけ」と記事にされて、とてもショックだった。スウェーデンをはじめ北欧の国では、一人暮らしでも戸建の住宅が用意され、一人で車いすを使って住宅内を移動でき、寝室とリビングは別で、浴室とトイレも別にあるのが基本という。ベッドや車いすは退院前に自宅に届けられ、最低一日3回は訪問介護の訪問があり、そのほかに看護師や医師の訪問が用意され、緊急時には24時間電話相談もできる。

 

介護保険が始まって20年以上たつのに、福祉用具でベッドや車いすなどがレンタルで利用でき、手すりなどの住宅改修も介護保険を利用すれば取り付けられる。

 

かっては都営住宅の1階には身障者用の住居が用意され、寝室から浴室やトイレまで天井走行型の移動器具が取り付けられていた。現在都営住宅の建て替えはされているが、新しく建てられているという話は聞かない。

 

高層マンションが建てられてはいるが、空き室のあるマンションやアパートを高齢者や障害者が住みやすくなるような住宅改修やグループホーム用として、自治体が借り上げて提供するという話も耳に入ってこない。

 

「こちら特報部」では、精神障害者の「医療保護入院」について触れているが、地域で暮らすために何が必要かについては、具体的な言及はされていない。

 

日本の住宅文化として、江戸時代からの長屋、空襲で焼け出された人々のためのバラック、昭和40年代の団地の建設ラッシュでも、「文化的な住まいの在り方」については、住まうことの基本を押さえたものは生まれていなかったように思う。一時もてはやされた団地は、二世帯、三世帯では住めず、そこで育った子供たちは団地を出ていき、高齢者が残され、団地の高齢化率が3割や4割を超える地域もある。

 

人口密度が高く、都市圏に人口が集中し、地方都市でも山の際の際まで住宅地の造成がされている。大雨などの自然の猛威により住宅が破壊される頻度も増している。

 

健康を害さない住まいは、結局のところ、転倒や転落を防げたり、フレールを予防して、健康寿命を延ばすことにつながるはず。

 

生活保護の住宅扶助が単なる金額の上限の設定だけなんて、今頃知った私もいい加減あきれてしまうが、こんな基準を替えなければ、精神障害者の地域で暮らすことを促進することにつながらないと思う。

 

東京新聞では、今後も精神障害者の「地域移行」について、ぜひ取材を続け、記事にしていってほしい。