今までないがしろにしていた事柄を少しずつ見つめていると、自分にもいろいろな感情が沸き起こっていたことに気が付く。

 

 私は今までたいした就職活動をしたことがなく、給与が停止されたこともない。労働そのものはきつくても、仕事が見つからないといったことを経験したことがない。

 

 60代後半を迎える時期になって、仕事がそうそう簡単に見つかるとは思ってはいないが、いざ不採用になってみると、自分に起こった感情が思いのほか強く激しくまいった。

 

 昨日は夕方になって、オンデマンドで nhk Eテレ 『心の時代  瞑想でたどる仏教 ~ 心と身体を観察する  (1) 』 をたまたま見たのだが、その内容にドンドン惹きつけられ、ちょうど金、土の二日間にわが身にどういうことが起こったのか、説明を受けたような思いになった。

 

 司会は、中條誠子アナウンサー(日本の芸能 の司会もされていて、高橋英樹とのコンビがとても素敵)、元陸上選手 為末大氏と僧侶であり大学院の教授でもある仏教学者 箕輪彰量 氏。

 

 為末大氏のオリンピックをはじめ競技人生での実体験に基づいた瞑想についての考察も理解を助けることになった。

 

 マインドフルネスや脳科学者の瞑想に対する知見も触れられていた。

 

 人は生きている以上苦しみから逃れることはできない。人間の苦しみは四苦八苦と言われ、生老病死に愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦。

 

 箕輪氏の語り口は穏やかで優しく冷静で、為末大氏は非常に謙虚で率直で。しかも箕輪氏は為末氏に対して尊重の念が感じられなんとも良い感じで、見ているうちに自分が穏やかになってきた。生老病死と愛別離苦は耳にしたことがあったが、求不得苦や怨憎会苦は事柄と知っていたが考えてみたことがなかった。

 

 「苦しみは心が生み出すもの」

 

 「心はどんどん動き、悲しみや怒りが生まれるが、抑えようとしても抑えられないものなので、そういう気持ちが起きてもよいからそれに気が付きちゃんと捕まえなさい。何度も何度も把握しているとそのうちそこから抜けられるようになる。」と。

 

 私の場合は、いわゆる承認欲求が強いので、不採用という事実から自分が認められなくなったと受け取り、認められない自分への悔しさ、認めてくれなかった人への恨み、今まで積み重ねてきた努力が無意味だったという悔恨。一挙にいろいろな感情が生まれて身動きができなくなってしまった。

 

 冷静に考えれば、コロナ禍の採用なので高齢者は感染しやすく本人の健康への配慮、長時間通勤や時間外労働発生した場合のストレスの増強など、雇用者としての安全配慮義務を行使したに過ぎないのかもしれない、応募者が多く採用枠にちょっとはずれたのすぎないのかもしれない。

 

 私が自分に対して起きた感情は今までの体験から自動的に起こったもの。今回の件と全く無関係ではないとしても、不採用の理由はブラックボックスで、私の推測が正しいかどうかも不明。根拠がないことでも過去を引きずって自分を苦しめている。苦しめているのは、ほかの誰でもなく自分自身なのだ、と。


 

 

 私の実家には仏壇があり家族の葬儀はお寺で行い、お盆には方丈さんがお経をあげに来ていた。祖母と母は毎朝仏壇と神棚に炊いたばかりのご飯と水をおそなえし、祖母は毎日お経をあげていた。私も真似をして、庭の花を仏壇に飾ったりしていた。

 

 明治、大正、昭和と激動に時代を生き不条理な経験を重ねてきた祖母や両親が神や仏を大事にしていたのは当然といえば当然だと思う。

 

 物心ついたころに、すでに父は60代で畑仕事が天候不順でできないときに気が向けばお寺の方丈さんに会いに出かけていたり、山村の小さな集落でも布教活動の牧師が訪ねてきて、そういうときには長々と話をしていた。父の苦悩や疑問は何だったのだろう。生前に両親と深い話ができなかったことが悔やまれる。

 

 仏教は非常に科学的で事実を大事にしているように感じ、これを機会に瞑想について学びたいと思った。

 

 心(脳)の容量は少なくあれやこれや気づきが多すぎるとそれに耐えられなくなるという。ADHD気質のある私がいろいろなことに興味や関心を寄せ何か一つのことに過集中しやすいことは、脳疲労を起こしやすく、二次障害と言われる気分障害を起こしたのも分かるような気がした。