続きです。


抗がん剤の効果で癌が小さくなると、

ランバート・イートン症候群の症状はおさまり、

言葉も目も身体も治っていきます。


普通に会話ができ、

普通にご飯が食べられて、

寝返りさえ出来なかったのに、

車椅子補助車杖での歩行と

回復していきます。

階段の上り下り迄出来るようになりました。


これは先生の予想を上回る結果だったそうです。


癌が消滅することはない。

退院時点で余命1年。

そう言われましたが、

そんなことを忘れるほどの父の姿。


私は奇跡が起きたと思いました。


1年後に父は亡くなってしまいましたが、

私にとってプレゼントをもらった様な時間でした。


一緒に旅行へ行き

通院を付き添う為ですが、

2人の時間もたくさん持てました。

2歳だった娘も3歳になり、

おじぃちゃんとの思い出が

今も娘の中にたくさん残っています。


使える抗がん剤がどんどん無くなり

昨年7月に脳への転移が分かり

放射線治療の後体力が落ちて

またあっという間に悪化してしまいました。


ただ不思議なことに、

ランバート・イートン症候群の症状は現れず

脳の癌も悪さをしませんでした。


どんな体調のときも、

父は父で

最後の最後まで父で居てくれたことに

本当に感謝しています。


人徳があり

人懐こい笑顔でどこでも好かれて

自分のことより周りのことを考えて


亡くなる2日前に会話した言葉も

『◯◯(夫)が帰ってくる時間になるから、

   早く帰りなさい。気をつけて。』

と、お見舞いに行った私と娘を

15分程で帰す為のものでした。


会話ができなくなった後も

亡くなる10時間ほど前に

『夢を叶えて幸せなるから見ててな。

   今も幸せやけどね!』

という私の言葉に大きく頷いてくれました。


今も幸せという言葉に強く反応した父。

このやり取りのおかげで、

私はライフオーガナイザーになる

決心をしました。



亡くなるタイミングも

その後も

本当に父らしくて


思い返すと悲しさより

感謝と誇らしさの気持ちが溢れます。

そして父の愛を感じられます。


家族葬にも関わらず、

生前勤めていた会社の方がほとんど

参列して下さいました。

葬儀会館の方達も驚いて、

今でも覚えてくださってます。



こんな気持ちで父を思い出せる私は

本当に幸せ者で

もっと一緒に居たかったけれど

充分甘えさせてもらったんだなぁと

前を向くことが出来ました。



娘は今も時々、

おじぃちゃんの夢見たよーとか。

今の車の人おじぃちゃんに似てた‼︎とか

教えてくれます。


父に似て感受性豊かに育ってくれてます。



ファザコンの私は父が居なくなることに

ものすごい恐怖がありました。

でも…

亡くなっても父が残したものは消えない。

ということを、今味わっています。





お盆直前に父がお世話になった病院で

診察を受けることになった私。

あちこちにある父との思い出に

涙目になったり

ニヤニヤしたり


お昼は父が食べたかったカツカレーと

いつも父が食べていたシーフードピラフ

自然に選んでいた私と夫。