五百淵

 

 

 

  今日の話はエイプリルフールではない、、オレがまだ10代、、まだ未来が

  あった時代の、思い出話だ

 

  で<5000000$>と言われても、それがどういう意味なのか,何と発音

  するのか?、読者は戸惑う事であろう、まず最初に読み方なんだが<500万

  ドル>と呼ぶ、じゃあ、なぜ最初から500万と言わず5000000$など

  と言ったのかなんだが、それは当時のオレがよく通った店、じつはラーメン屋

  なんだが、そこの看板が<500万ドル>じゃなく<5000000$>だった

  んだ、、当時のオレが親と住んだ自宅から徒歩で15分の場所、小高い坂道を

  上った先の郡山商業高校の正門前にあった、そのラーメン店の名前が打ち込み楼

  いや来々軒なんかであれば、オレは今きっと覚えてはなかっただろう、その店の

  ラーメンの味は覚えてないが、、その名前というものだけは50年、半世紀が

  経った今でも忘れはしない、でもう一つ今でも覚えている理由は、我家は昔、

  当時 舗装工事が終わったばかりの国道49号線沿いの五百淵という沼の対面に

  あったんだが、あの頃は、まだ郡山市菜根地区というんは、畑の間に農家が点在

  する郊外だったんだ、今、市の中心部になった郡山市菜根3丁目辺りに、オレが

  引っ越してきたばかりの頃は、まだ林と田圃の広がる郊外だった

 

  しかし童貞、いや少年時代のオレにとって、郡山市駅前に生まれ幼児期を

  昭和自動車学校のある方八町<芳賀町>で育ったオレには、まだ田舎その

  ものだった菜根の生活は、、じつに魅力的だったんだ、それは今では、、

  信じられないが、当時の菜根は周りは自然が豊かで、オレは毎日トンボや

  蝶々を追ったり、50年後の今も夜の蝶々を、フィリピンで追っているが

  夏の朝早く起きてクヌギ林の樹液の出るどんぐりの木に群がるカブトムシ

  を採取しに行ったり、あの時、なぜ今のオレと違って少年のオレはオスの

  カブトムシだけを追ってメスは無視したのか?謎だ そして小川で雑魚を

  すくったりしてたんだ、今のスマホゲームに熱中するガキに較べたら何と

  リッチな少年時代をオレは送ることができたのか、1960年代の価値

  とは、そういうナマの生活を少年が送れたこともあった、もっとも今の

  オレもピーナ相手に、ナマの生活をヤッテいるが、、最後に500万$

  以外に、郡山市菜根屋敷、今もこの地名が残っているのかオレは知らない

  しかしオレが10代までは 確かに昔からあった菜根屋敷という地名が

  存在した、その菜根地区に存在した、少年時代のオレが通った昔の味を

  提供した店を、いくつか紹介する

 

 

      キッチン東京、、、東京で修業したマスターが一人で始めた伝説の味

               <豚バラ定食><エビフライ定食>

      永来飯店、、、、、久留米地区で、やっていた伝説の中華飯店、

               <酢豚><塩ラーメン>

 

      ヴァンローゼ、、、49号線、五百淵にあった、ヒジョーにモダンな

               大規模レストラン、、<カニピラフ>

 

 

     PS、、、この記憶から50年が経った今、、思うんだが500万ドルと

          いう金額は、当時は1ドル→360円、、公務員の給料が3万円前後

          だった時代には 天文学的数字だったが、今は7億5千万、2年前の

          円高であれば5億円なんだ、、、この5億と言う数字が、まさに

          偶然だが今のオレが30年の脂っこい海外投資の結果、稼いだカネと

          同額なんだ、もう一度、円高が来たらオレは500万ドルに替える

          んだ  

 

 

 

                       

 

 

 

 

                         ナナ