津市にあった母方の親戚宅にて出生のち大阪府へ転居。
1972年 、58期生 として宝塚歌劇団 に入団。雪組公演『かぐら/ザ・フラワー』で初舞台を踏む。同期生に現専科の星原美沙緒 、邦なつき 、女優の峰さを理 、高汐巴 がいる。当初の芸名は「寿 ひづる」だった。 8月、関西テレビ番組「ザ・タカラヅカ!」に出演するユニット「バンビーズ」の8期生に選ばれる。同じく選ばれた峰、高汐とともに、翌年3月までほぼ毎週テレビ出演する事となる。
1973年 、星組 に配属。峰、高汐と同期生トリオとして使われ、注目を浴びる。 9月、『この恋は雲の涯まで 』本公演では主題歌指導・新人公演では峰・高汐と共に主要な役を同期三人で占めた。
1974年 、花組 へ組替え。『ベルサイユのばら 』の小公子などで、フェアリー型男役として活躍する。1978年 宝塚バウホール 開場第一作『ホフマン物語 』に出演。新人バージョンでホフマン役を演じる。
1980年 、雪組 に組替え。新トップ麻実れい のもとで2番手スターとなる。娘役トップ遥くらら も加えた3人の並びは「ゴールデントリオ」と称された。1981年 、『彷徨のレクイエム』第1部で主演。(コビリンスキー大佐役)
1982年 、花組へ組替え。すでに翌年退団の決まっていた花組のダブルトップ、松あきら 、順みつき の後を受けて、花組トップスター就任のための組替えであった。10月、突然、歌舞伎役者五代目坂東八十助(現十代目坂東三津五郎 )との婚約を発表。年内での退団が決定。12月、東京公演『夜明けの序曲 』(松あきらのサヨナラ公演)をもって、トップスターになることなく宝塚歌劇団を退団。
1983年 5月、坂東八十助と結婚。二人の女児と坂東巳之助 をもうけ、梨園の妻としての勤めを果たしていたが、1997年 3月、離婚。八十助が近藤サト ら複数の女性と不倫関係にあったことや、寿と八十助の家族(両親と二人の妹)との永年の深刻な確執が取り沙汰された。
1997年 、植田紳爾 作・演出『華の絆 』(三越劇場 、主演宋慶齢 役)で芸能活動を再開・本格的芸能界デビューを果たす。現在はミュージカルを中心に出演