nanoの芸能ブログ♪ 

2002年 、母と妹と共に観光 目的で東京ディズニーランド へ遊びに来ていた際、帰りの山手線 の電車 内でスカウト されたのが芸能界入りのきっかけとなる。一度電車を降りて駅のホームで名刺をもらい、その裏に藤崎奈々子 、小倉優子 ら所属タレントの名前が記載されているのを見て、「このプロダクションなら大丈夫かな」と思ったという[2] [3] 。元々芸能人 になりたかった事やモーニング娘。 に憧れていた事もあって[3] 即決、そのまま芸能界 入りした。

「名前を略した愛称 で呼ばれたい」「本名 の“翔子”を生かしたい」「父親が浜田省吾 のファン 」などの理由により本人が提案した「浜田翔子」が芸名 として正式に採用された[3] [4] 。 (2007年 11月22日 放送の『ダウンタウンDX 』では、ダウンタウン浜田雅功 が好きで苗字 からもらったと発言した。)

視力 が悪いため、常に眼鏡 をかけていたが、芸能界入りをきっかけにコンタクトレンズ に変えた[5]  。この年のメディア 露出 は殆ど無く、撮影会 モデル として下積み生活 を送る(ちなみにこの頃、事務所の先輩 であり自身の憧れである小倉と、浜田を含む所属事務所の当時の新人タレントがカップリングされることが多かった)。

2003年 、事務所の先輩の佐藤ゆりな 等と共に現役 女子高校生 としてENDLESSスポーツのレースクイーン に抜擢され、レース場でアマチュア カメラマン を中心に注目を集めるようになる。同年、テレビ東京 『テンパイ』で同じ名前を持つ中川翔子 と共にレギュラーとして活躍。番組中でも特にW翔子と呼ばれ、珍妙な掛け合いを繰り広げてローカルな人気を獲得した。

2005年 には日テレジェニック に選出。

2006年 、9月7日の『ハッスル・ハウス』Vol.20より、事務所の後輩 の海川ひとみ とともに、ハッスルサポーター として(”ハッスルバックアッパーズ”の名称あり)ハッスル にレギュラー出演している。同年11月、『コスプレ☆トランス 歌いましょーこ』をリリースし、CDデビューを果たす。

現在は在京ローカル局 やCS などでのテレビ出演とグラビア で活動中。

テレビ東京 の『FILM FACTORY 』でドラマ監督に挑戦