nanoの芸能ブログ♪ 
  • 中学時代、ポーラ化粧品のCFで、担当したワダエミ により森の妖精に扮して踊る役に抜擢。この時のヘアーメイクが渡辺サブロオであった。
  • 1975年 、高校1年の夏、真行寺を覚えていた渡辺サブロオの仲介により、西武デパートのモデル出演。撮影は稲越功一 。
  • 女性自身 』のグラビアで、女優に変身する仕事を行う。
  • 1976年 、16歳でその年の資生堂の秋のキャンペーンモデルに選ばれ、圧倒的なデビューを飾る。カメラマンは十文字美信 、アートディレクターは鬼沢邦、「ゆれる、まなざし」のコピーライターは小野田隆雄 、キャンペーンソング担当は小椋佳
  • ちなみに当時、資生堂とカネボウ のキャンペーン競争の加熱は、社会現象に発展するほど激しく、資生堂はこの広告の制作費に、当時としては破格の三億円を投入したと言われる。
  • フランスにおける日本年(1979年)では、ルーブル美術館で資生堂の写真史が展示され、もちろんこの真行寺の「ゆれる、まなざし」も含まれていた。
  • 高校卒業後、三船プロダクション に所属。森谷司郎監督作品「聖職の碑 」に出演するも、飛び入りで台詞もなかった。
  • テレビドラマ「必殺からくり人・富嶽百景殺し旅 」に出演。これは、うさぎ役の高橋洋子 病気で降板したためであった。ザルを武器にするという設定には本人は馴染めなかったそうであるが、沖雅也 に目線の流しを教えてもらったそうである。
  • 1979年 、真行寺のテレビにおける代表作である、TBSの金曜ドラマ「沿線地図 」(原作・脚本:山田太一)の主役・藤森道子を演じる。藤森道子の両親役は、岸惠子 、河原崎長一郎 、同棲相手の松本志郎役は広岡瞬 、そしてその家族に、児玉清 、河内桃子 、笠智衆 など。主題歌はフランソワーズ・アルディ 「もう森へなんか行かない」。
  • この頃仕事は順調であったが、テレビドラマの仕事には満足感が得られず、また、同棲を始めた相手が、同棲開始後に妻子ある身と知り苦しめられるなど、精神を衰弱させる。
  • 所属していた三船プロダクションに内紛騒動が勃発、田中寿一が半ば強引に三船プロから独立、田中プロモーションが発足。さらに分裂し、アクターズプロモーション が設立。この分裂に伴い、アクターズプロモーションに移籍。
  • 1981年 、「風の歌を聴け 」(原作:村上春樹 、監督:大森一樹 、制作:ATG )に出演。この作品は本人自身が「私の代表作」「大変な低バジェットでしたが、あれほどに楽しかった撮影は後にも先にもこの一本に尽きます」と述べている。
  • アサヒミニ樽シリーズのCMに二年間出演。風間杜夫 、たこ八郎 、柄本明 、平田満 、シティーボーイズ 、高田純次 という個性派を相手に、真行寺の「バカ」という台詞で落ちになるパターンが好評を博す。広告批評の広告ベストテン CM部門第三位入賞。
  • 「階段の上の暗がり」(演出:木村光一、主演:八千草薫 )で初舞台を経験。衣装担当は植田いつ子 。真行寺はこの舞台の仕事を、「私は演者としてここにやっと息をつき、納得して仕事に従事できる場を発見しました」と語っている。