nanoの芸能ブログ♪
福岡市立板付小学校、三筑中学校、福岡県立筑紫中央高等学校 卒業。坂本龍馬 の研究を志して当時一期校 だった高知大学 文理学部(現・人文学部)に2年間挑戦するも失敗に終わる。一浪後、二期校 で合格した福岡教育大学 教育学部 障害児教育教員養成課程に入学。しかし8年在籍するも中退。芸能界で失敗しても大学に戻れるよう母・イクが学費を払い続けていたという。なお、武田の両親は熊本県 小国町 の出身[2]

1972年 10月25日 に、千葉和臣中牟田俊男 らと海援隊 でデビュー。当初は全く売れなかったが、武田が母・イクに向けた詫び状を歌にした「母に捧げるバラード 」(1973年 )がヒットし、翌年の第25回NHK紅白歌合戦 に出場。

その後はしばらく低迷したが、映画『幸福の黄色いハンカチ 』(1977年 )でのさえない青年役が高い評価を得て、俳優としての新境地を開拓。海援隊としても再び注目され、ドラマ『3年B組金八先生 』(1979年 )のヒットとともに主題歌の「贈る言葉 」も大ヒットした。1982年 12月の海援隊解散後は、ソロ歌手・俳優・作家として活動。歌手活動としては、「男と女のラブゲーム」(芦川よしみ とのデュエット)(1987年 )、「声援」(『3年B組金八先生』第3シリーズ主題歌)(1988年)などのヒット曲がある。海援隊は1993年 4月10日 の「ドリームライブ in 福岡ドーム 」のために1日だけ再結成され、翌1994年 に本格的にグループとしての活動を再開し、現在に至る。

福岡教育大学は除籍とはなったものの、武田の『金八先生』シリーズでの長年の活動を評価し、2008年 に、国立大学法人理事会で特別に名誉学士号(6月に制定。第一号)を授与することを決め、武田本人も了承した。9月12日 に、授与式と学生とのトークイベントが行われた。名誉学士号授与の条件として福岡県の教職員の卵達に人生で学んだことを話す機会をたまに設けることを求められ、本人も快諾している[3] 2010年 5月12日 には福岡教育大学の特命教授(大学活性化の為に、学長の任命で無償での教育研究活動に従事できる)に就任し、『風の又三郎 』をテーマに90分の「賢治の小説は童話ではなくミステリーだ」と論じる講義を行なった[4]

また、漫画原作者 として『お~い!竜馬 』(画:小山ゆうテレビアニメ 版では武田が主題歌を担当)と『プロゴルファー織部金次郎 』(画:高井研一郎 。武田主演で実写映画化)の2作を手掛けている。