nanoの芸能ブログ♪
東京都世田谷区で生まれ、青森県 弘前市 から大阪府 松原市 と転々とする。1973年 大阪市立工芸高等学校 ・木材工芸科(現インテリアデザイン科)に入学。1976年大阪芸術大学 デザイン学科入学。その後、俳優養成所に通っていた1980年にミュージカル『HAIR』で俳優デビュー。その頃はバンド活動 もおこなっていて、同年レコードデビュー。1981年 にはドラマデビュー。1983年 には代表作となるドラマ『ふぞろいの林檎たち 』で注目される。その後はエッセイを出すなど、俳優活動だけには留まらない。

1988年三共 が発売した栄養ドリンク「リゲイン 」のCMにて、「24時間タタカエマスカ」というキャッチコピーと共に、初代CMキャラクターに起用される。最初のCMではそれほど注目されなかったものの、1989年 に入り「牛若丸三郎太」というキャラクターに扮し、後にCD化された『勇気のしるし』をCMで歌う。のちにシングルカットされた同曲は、商品名の入った曲ながらオリコン シングルランキングTOP10に入り、累計で60万枚以上を売り上げる。また、『歌のトップテン 』でもTOP10入りするが、「鞍馬山 で修行中」との理由で出演を辞退する。ただ、周囲からの「一度は生歌で聴きたい」という声に押され、『夜のヒットスタジオSUPER 』にて一度だけ牛若丸三郎太として出演、突如現れ生歌を披露した後、突如消え去った。

非常に子煩悩であることで知られる。1999年 、3児の父である時任は、子供をのびのび育てたいと家族でニュージーランド に移住。その間、役者の仕事は殆ど入れずに、全ての時間を家族とのふれあいに使った。子供が大きくなり、子育てが一段落したことから2003年 に帰国。

最近では浜田省吾 の楽曲『I am a father 』や、aiko の楽曲『三国駅 』のプロモーションビデオでも父親役を演じている。

名前の三郎を苗字の時任に引っ掛けて「時 任三郎」とよくからかわれることがある。本人は出演していないものの、テレビドラマ『古畑任三郎 』の「任三郎」という名前は、時任三郎が『笑っていいとも! 』に出演した際、タモリ が名前を「ときとうさぶろう」ではなく「ときにんざぶろう」と冗談で読み、その話を偶然耳にした三谷幸喜 が、その話を元に名づけたものであると言われている。[要出典 ]

またそれ以前にも『オシャレ30・30 』に出演の際、司会の古舘伊知郎 から冗談で「今日のゲストはときにんざぶろうさんです」と紹介されたことがあった。

なお、「ときにんざぶろう」は、TBS系列で放送されていた音楽番組「ザ・ベストテン 」に時任が出演した際、時任の登場シーンで司会者の小西博之 が声高らかに誤読して紹介するハプニングがあった。 小西は恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしながら即座に番組内で時任に謝っている。 タモリや古館はこのエピソードを伝え聞いてトークに使ったものと思われる。[要出典 ]

叔父は時任学園中等教育学校 を経営。また、実兄も同学校で教師経験あり。本人も時には、学校の農作業を手伝う場合もあるとか。

本人曰く無口であるが 話の内容を事前に組み立てていたりとかなりおしゃべりである。『メントレG 』では「全然無口じゃないじゃないですか!」とTOKIOメンバー にツッコまれると「俺は無口です」と言い張った。そのあともおしゃべりは止まらなかった。おちゃめな一面もある。