1959年 (昭和34年)2月12日 、岐阜県岐阜市に生まれる。 父親は新興宗教 「天子の郷(前身:神鏡の里)」の教祖・矢井清勝(1995年 11月に70歳で逝去)[1] 。
1974年 (昭和49年)、岐阜市の鶯谷女子高等学校 高校1年在学時に、オーディション番組『あなたをスターに! 』の第2回チャンピオンとなり、翌1975年 (昭和50年)5月10日、16歳でシングル『ひとりごと 』がNAVレコード より発売され歌手としてデビューした。以来ポッキー の初代CMガール(1975年 - 1980年 )や、『俺たちの旅 』での田中健 の妹・中谷真弓役、1976年のシングル『青春の坂道』のヒットなど、アイドルとして活躍。
1977年(昭和52年)3月、堀越高等学校 を卒業、同年4月には、戸板女子短期大学に進学した。同年7月15日 未明、東京都 港区 三田 4丁目の秀和三田聖坂レジデンス内の自宅に窓から暴漢が押し入る事件が起きた。犯人は岡田を果物ナイフで切りつけ、右手親指の付け根と左手の掌に30針の重傷を負わせるなどし、早朝7時には犯人は玄関から出て行ったという。所属事務所は記者会見を開き、岡田は両手を包帯につつまれつつ事件の顛末を説明した[2] 。当時、岡田はテレビドラマ『俺たちの朝 』にレギュラー出演中でもあったが、事件の2日後には仕事を開始したという[3] 。この折の犯人は以降も逮捕されぬまま[2] 、時効が成立した。
20歳となった1979年 (昭和54年)からは女優業に本格転向し、大学は中退した。その後、映画『戦国自衛隊 』(1979年)や『里見八犬伝 』(1983年)といった全盛期の角川映画 、テレビドラマ『スクール☆ウォーズ 』(1984年 - 1985年)などで活躍した。作家の安部譲二 は岡田の熱烈なファンで、自身原作の映画作品に出演依頼をしてこれを実現させたのが、1987年(昭和62年)の『塀の中のプレイ・ボール』であった。
10代のころに石井輝男 監督の東映 最後の作品『暴力戦士 』(1979年)に出演した縁で、石井の劇場用映画への復帰作『ゲンセンカン主人 』(1993年)、続けて『無頼平野 』(1995年)に出演、ヒロインを演じた。石井は「彼女のような顔が、好み」だという[4] 。映画『ラブ&ポップ 』(1998年)やテレビドラマ『ストロベリー・オンザ・ショートケーキ 』(2001年)では主人公の母親役を演じている。独身。