東京都 目黒区 に生まれる。本名である「うの」は、持統天皇 の幼名「鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)」が由来であり、幼い頃はこの「ひめみこ」をとって両親や祖母から「ヒメ」と呼ばれて育つ。母親からアホと思われた事がなく賢いと評価されている。
父親の赴任に伴い、1歳のときにインドネシア のジャカルタ に移住。4歳まで同地で過ごしたのち日本に帰国し神奈川県 横浜市 栄区 に居住した。
5歳のときにバレエ をはじめる。谷桃子 バレエ団に所属していた。
1985年 、神奈川県 川崎市 中原区 へ転居し、川崎市立木月小学校 へ転入。その後、川崎市立住吉中学校 を経て1990年 に白鵬女子高等学校 へ入学した。
同年、東京新聞 が主催するバレエコンクールに入賞。さらに、フランス ・パリ のバレエ学校「コンセルヴァトワール 」に入学許可を得たものの全寮制 だったため、先生たちの期待や希望にそむいてバレリーナ になることを断念する。全日本バレエコンクール(中部)のジュニア部門1位、全日本バレエコンクール(東京)入賞。1992年 、同高校卒業が最終学歴となった。