nanoの芸能ブログ♪
1972年
(昭和47年)7月19日 (放映は8月6日 )、中学2年生(14歳)の時に日本テレビ の人気オーディション 番組『スター誕生! 』の秋田県民会館 で行われたテレビ予選[1] 牧葉ユミ の「見知らぬ世界」を歌い[2] 、番組史上最高得点となる573点で合格(挑戦者は7人で、合格ラインは250点。会場が500点、プロは各自100点の計500点で、合計が1000点満点)。同年9月6日 (放映は9月17日 )、後楽園ホール で行われた第4回決戦大会で、これも番組史上最高の25社から獲得の意向を示すプラカードが上がり、審査員からの評価も圧倒的で最優秀賞(グランドチャンピオン)を受賞した[1] ホリプロ 創業者の堀威夫 の自伝『いつだって青春』によれば、当初桜田はホリプロ入りの意向を示していたが、ホリプロには既に同番組出身の森昌子が所属しており、(スター誕生!の出身者が)同じ事務所ばかりに偏っては……という日本テレビ側の政治的配慮もあって、結局サンミュージック に所属することになったという。また桜田本人は後年テレビのトーク番組で、ファンだった森田健作 が所属する事務所であり(『スター誕生!』決戦大会にゲスト歌手として出演していた)、その森田自身が持つクリーンなイメージを事務所にも重ね合わせて決めたとも語っている。

1973年 (昭和48年)2月25日ビクター音楽産業 より歌手デビュー 。デビュー曲「天使も夢みる 」は12.1万枚を売上げ、オリコン チャートでも12位につけるなど好スタートを切った。また、歌う時に被っていたキャスケット(2枚目のシングル「天使の初恋 」まで)は桜田のトレードマークとなり、当時「エンジェルハット」と呼ばれて話題になった。この時点で既に人気アイドル の仲間入りを果たしていたが、その後、同じ『スター誕生!』出身で、同世代の森昌子山口百恵 と共に花の中三トリオ (当時)と呼ばれるようになった(トリオとしての名称は3年後の「高三トリオ」まで続く)。3枚目のシングル「わたしの青い鳥 」のヒットで、第15回日本レコード大賞 新人賞 、第4回日本歌謡大賞 放送音楽新人賞を受賞。さらにその年の大晦日には第15回日本レコード大賞最優秀新人賞 にも輝いた。

同年11月にリリースされた4枚目のシングル「花物語 」で初めてオリコン チャートのベストテン 入りを果たす。続く「三色すみれ 」「黄色いリボン 」「花占い 」も順調にベストテン入りし、8枚目のシングル「はじめての出来事 」ではオリコン チャート第1位を獲得。その後も「ひとり歩き 」「十七の夏 」「夏にご用心 」「ねえ!気がついてよ 」「気まぐれヴィーナス 」「しあわせ芝居 」「リップスティック 」「サンタモニカの風 」などなど、数々のヒット を飛ばした。シングル は累計で600万枚近くを売り上げ、トータルで18曲をオリコン チャートのベストテンに送り込んでいる。1975年 (昭和50年)にはオリコン ・シングルレコード年間売上げ、ブロマイド 売上げ、及び各種人気投票でいずれも女性歌手部門の1位になるなど、名実共に1970年代 を代表するトップアイドル のひとりであった。

また、コメディーリリーフとしてのセンスもあり、特に『8時だョ!全員集合 』で見せた志村けん との「夫婦コント」(『私って駄目な女』シリーズ)での絶妙なかけ合いは、音響、照明効果も相まって人気を博し、お茶の間だけでなく、井上ひさし ら放送作家達からも絶賛された。歌手として活躍する一方で、女優としても1975年 の映画『スプーン一杯の幸せ』を皮切りに、『遺書・白い少女』『若い人』『愛情の設計』『愛の嵐の中で』と、5本の映画で主演を務めていたが、1978年 には東宝 歌舞伎 の大御所、長谷川一夫 の指名により、『おはん長右衛門』で舞台女優にも挑戦。初舞台ながら長谷川一夫の相手役を好演し、この頃から役者としての資質が特に注目されるようになった。その資質は翌年の市川崑 監督作品『病院坂の首縊りの家 』での一人二役を経て、さらに翌年の初主演ミュージカル 『アニーよ銃をとれ』で大きく開花し、その年の芸術祭 大衆芸能部門(2部)優秀賞を、当時史上最年少で受賞するなど高い評価を得た。この頃から次第に女優としての活動に比重が置かれるようになっていき、1983年 に発売された小椋佳 作曲のシングル「眉月夜」のリリ-スを最後に歌手活動を停止、完全に女優業へ転向した。その後は数多くのテレビドラマ舞台映画 で活躍し、歌手時代のみならず、女優に転向してからも芸術選奨 (大衆芸能部門 文部大臣新人賞)や菊田一夫演劇賞 (演劇賞)を始め、数多くの賞を受賞している。

当時の女性アイドルの中では背が高く、スタイルも良かったため、『週刊プレイボーイ 』、『平凡パンチ 』、『明星 』、『平凡 』などで何度もグラビアを飾っている。またしゃべり方に特徴があり、ものまね番組などでサ行の発音をデフォルメして真似されることも多く、フジテレビ のシチュエーションコメディ『やっぱり猫が好き 』内でも、出演者の一人である小林聡美 がたびたび桜田の物真似を披露している。アイドルでありながらリクエストされれば秋田弁 でしゃべってみせたり、秋田音頭や持ち歌をお国訛りで歌ったりするなどサービス精神が旺盛で、1970年代後半に井関農機田植機 『さなえ』のCM に起用された際も、「やっぱし早苗だべさ」というお国訛りのセリフが有名になった。