nanoの芸能ブログ♪
デビューよりバーニングプロダクション 所属であり、グループ事務所を含め他事務所からの移籍が多い同社のタレントでは珍しい生え抜きタレントである。デビュー2年目、所属事務所の方針に嫌気が差し、突然、無断で髪を刈り上げに。また自身を「小泉」と苗字 で称したことから、「キョンキョン」というニックネームと並行して、初めて苗字で呼ばれるアイドルの先駆者となった。

アンアン に連載していたショートエッセイ『パンダのアンアン』中での自己申告によると身長は154cmと小柄な体格で、アイドル時代は常にハイヒール を履かされており、転ばないようにいつも前のめりに踏ん張っていたのでふくらはぎに立派な筋肉がついてしまった、と同エッセイにて告白している。

アイドル時代における衣装の奇抜さも有名であり、中には自らがデザインをして製作した衣装や、スタイリストをつけず独自の判断で衣装を選ぶことも多い。ファッションのことについて厳しい視点を持っていた芳村真理 も「自分をちゃんと主張しているから素晴らしい」と彼女のファッションセンスにお墨付きを与えたほど(小泉とは盟友に当たる同期の中森明菜 も芳村から同様のお墨付きを与えられた)で、芳村司会の『夜のヒットスタジオ 』出演時には他の歌番組とは異なる特注の奇抜な衣装を身に着けて歌を披露することが多かった。

それまでのアイドルは、そのイメージを保つことが鉄則だったが、小泉は「なんてったってアイドル」で、アイドルであることを楽しむ、あるいは遊ぶ、新時代のアイドルの形を創り出した。『ザ・ベストテン 』で小泉が愛読書として紹介した吉本ばなな に注目が集まった。

全盛期に写真集において、全裸で魚拓 ならぬ人拓を披露したこともあったが(後にこれは自身の付き人の物と告白)、永瀬正敏 との結婚の際には入浴中の写真などを含むプライベート写真展を開催。

1980年代 後半から1990年代 前半にかけて、“小泉をCM で起用した商品は売れる”という事例が多く見られた。雑誌の記事などでは「売上10%増」とも書かれていたが、実際に、当時の小泉今日子をCMで起用した商品は、起用する前と後では売り上げに大きく差が出たと言われ、一説には「初代CM女王」とも。当時、企業の広報・宣伝担当者や広告代理店の中には「神様仏様小泉様」という言葉まであったという。それだけに企業との契約期間も長く、特に資生堂 のCMには、商品こそ替わるものの、1988年 から現在まで延べ20年以上断続的に出演している。

女性歌手の中では浜崎あゆみ (46作)、モーニング娘。 (43作)、安室奈美恵 (35作)に次いでオリコンベスト10入りの曲数では歴代4位(「春風の誘惑」から「月ひとしずく」まで33作)であり、いかに人気が長期間継続したかが伺われる。