nanoの芸能ブログ♪
伊勢市立厚生小学校、伊勢市立厚生中学校三重県立伊勢高等学校東京理科大学 理学部 第一部応用化学科 を卒業し、1974年日本テレビアナウンサー として入社。1981年 秋に退社し、フリーアナウンサー、エッセイスト に転身。科学エッセイ など、彼女ならではの持ち味を発揮している。また、ドゥーガル・ディクソン 著の『新恐竜』(旧版)などの翻訳 を手がける等、幅広いメディアで活躍している。

日本テレビ退社後は、フジテレビなるほど!ザ・ワールド 』や日本テレビ『世界まる見え!テレビ特捜部 』など、海外情報系番組に多く出演しているのが特徴。

女性司会者の代表格の一人である芳村真理 と、ファッショナブルな雰囲気や男性司会を立てつつ進行し、番組を格上の存在へと成長させる「調整型」の司会術で類似するところから、「第2の芳村真理」との呼び声も高い。日本テレビ『金曜娯楽館 』とフジテレビの年末の大型イベントである『FNS歌謡祭 』においては、芳村の後任として彼女が抜擢された。1988年 にフジテレビ『夜のヒットスタジオ 』の司会を芳村が勇退した際、当時のスタッフから真っ先に後継候補として名前が出たのも楠田であった(最終的には「男性中心の路線で」という当時の上層部の意向で実現しなかった)。

長身で声のトーンが常に一定なこと、『世界まる見え』では爆発などを伴うドッキリ にもまるっきり動揺しないことから「実はロボット では」などとネタにされることがある。番組でイラストクイズが行われた際、答えが楠田枝里子だったとき、ゲストがロボットの絵を描き、所が正答したというエピソードもある。また、アナウンサーデビュー時、テレビで初めて楠田がレポートをした際、長身のため頭が終始カメラ(固定されていた)からフレームアウトしてしまい、『世界まる見え』で時折その映像が流されてはネタにされた。

無類のチョコレート 好きで知られ、カカオ 分を多く含んだチョコレート を常にストック・携帯している。2004年 に著書『チョコレート・ダイエット』(幻冬舎 刊)を発表、時折テレビ番組でも持論を展開している。その縁で2006年 3月 から2007年 10月 頃まで明治製菓 「チョコレート効果」のCM に出演していた。

消しゴム コレクターである。旧ソビエト連邦 時代のモスクワ で、現地の人が普通に使う消しゴムを6時間並んで手に入れた。また、文房具メーカーのイワコー を訪問した際に、楠田枝里子フィギュア消しゴムを作ってもらった[1]

わざわざ深夜にファンレターの返事を出しに郵便局に訪れるのも趣味だと語っている。

ナスカの地上絵 の保護運動に熱心であることでも知られ、マリア・ライヒェ を現地に何度か尋ね、日本マリア・ライヒェ基金の代表をつとめる。

1988年 、ドイツのバレエダンサーで振付師のピナ・バウシュ の舞台を初めて観て以来、その熱烈な「追っかけファン」となり、本人と親交も持った。2003年 には『ピナ・バウシュ中毒』(河出書房新社 刊)という著書も上梓している。 

この他、清水ミチコ が楠田のものまね をすることで有名。

デビュー当初から1991年 頃までは、おかっぱ 頭の髪型がトレードマークであったが、1992年 頃から徐々に帽子を被ったり他の髪型にすることも増えていき、2000年 頃からおかっぱ頭の髪型には全くしなくなった。なお、このおかっぱの髪はカツラ であり、地毛はパーマの掛かったかなり短めのショートヘアーである。

2009年1990年 の番組開始から19年間という、長年司会をつとめた『世界まる見え!テレビ特捜部 』を降板。「プロデューサーに『若返りを図りたい』と言われた」ことが降板理由であることを自身のブログで明かした。