1945年5月の横浜大空襲
で被災。
高校在学中に小牧バレエ団 に通う。
もともとは作家志望で川端康成 を耽読した。高校時代に観た『美女と野獣 』に魅せられ、映画に興味を持ち松竹大船撮影所 を見学するうちに、吉村公三郎 監督にスカウトされ[1] 、大学入学までという条件で『我が家は楽し 』に出演したのを契機に映画界入り。
- 1951年 :松竹 に入社し、映画『我が家は楽し』でデビュー。
- 1952年 :『坊ちゃん重役』で鶴田浩二 と佐田啓二 の相手役を務める。5月、松竹の看板スターであった鶴田が、戦後のスタープロ第1号となる新生プロ を設立して独立。第一作として、新東宝 配給『弥太郎笠 』の制作にあたり、鶴田の相手役のヒロインとして岸にオファーを出す。松竹はこれを拒否したため、岸は辞表を出す。松竹が折れて、岸はこの映画に出演可能となる。続いて、新生プロの『ハワイの夜 』でも鶴田と共演して大ヒットとなる。この頃、鶴田との関係がしきりに報道されていたが、松竹に強引に別れさせられることとなる。
- 1953年 - 1954年 :映画『君の名は 』3部作が大ヒットする。以降、松竹の看板女優として絶大な人気を誇った。
- 1954年 :有馬稲子 、久我美子 とともに、「文芸プロダクションにんじんくらぶ 」を設立。
- 1956年 :フランス ・日本合作映画『忘れえぬ慕情 』に出演する。
- 1957年 :『忘れえぬ慕情』の撮影がきっかけで、フランス人の映画監督イヴ・シャンピ (Yves Ciampi)と結婚。フランスで、作家・川端康成 の立会いのもと挙式。以降、パリ に居を構え、フランスと日本を往復しながら女優を続け、「空飛ぶマダム」と言われた。この頃に、サルトル 、ボーボワール 、マルロー 、コクトー らと親交を持つ。
- 1963年 :1人娘のデルフィーヌ=麻衣子・シャンピ (Delphine Ciampi)を出産。
- 1975年 :イヴ・シャンピと離婚。娘・デルフィーヌの親権は岸が持つこととなる。
- 1996年 :国連 人口基金親善大使に任命。