nanoの芸能ブログ♪
父は東大 卒の国家公務員 (I種・キャリア)、母は皇后美智子 の学友というハイソな家庭に長男(他に弟が二人)として出生。父が“転勤族”状態であったため、神奈川 や小学校2年生から高校生までは群馬県 前橋市 に住む。高校卒業後、受験勉強を口実に単身上京。浪人を一年したのち和光大学 に合格するも、三日間通っただけで中退。友人のすすめで芸能山城組 に所属するが、太鼓の基本を習ってすぐに辞めてしまう。その後、某病院の深夜受付のアルバイトをかたわらに、北千住の「甚六屋」江古田の「マーキー」両国の「フォークロア・センター」などで弾き語りをはじめる。同じような生活をしていた人間、いわゆる地下生活者たちのカリスマになり、彼の住む高円寺の四畳半ボロアパートはまたたく間にたまり場となる。その中に知久寿焼柳原陽一郎 (当時・幼一郎)もいた。(詳細はたま の項目を参照されたい)彼の住んでいたボロアパートを中心にすべてが始まっているため、石川がたまを生み出した張本人と言っても過言ではないかもしれない。

TBS 系音楽番組『三宅裕司のいかすバンド天国 』出身バンド(イカ天バンド)の代表格『たま 』のパーカッショニスト として活動(時々ドラマー と呼ばれるが誤り)。太鼓 の他に湯桶 などを打楽器 として使い、その音楽はシュール な歌詞に、アコースティックなサウンドを合わせた個性的なものだった。彼らの代表的ヒット曲『さよなら人類』で1990年NHK紅白歌合戦 にも出場。ファーストアルバム『さんだる 』(1990年5月発売)は彼らの代表作となる。

画家山下清 を描いたテレビドラマ・花王名人劇場 (後の花王ファミリースペシャル )『裸の大将放浪記 』の主演俳優・芦屋雁之助 の坊主頭でランニングシャツ(タンクトップ )に半ズボンの服装と類似していたため、通称「たまのランニング」と呼ばれた(命名はダウンタウン )。本人によれば、毎回ライブ中に暑くなって服を脱ぎ、最後にはシャツ一枚になってしまうので、始めからランニング姿でライブに出るようになった、との事。

その後も地道にバンド活動を続けていたが、2003年 10月バンド解散、新しい活動を模索。ソロや他のミュージシャンと共に音楽活動を続ける他、『たま』メンバーであった知久と共に15人編成の音楽ユニット『パスカルズ 』に参加・活動している。ヨーロッパ など海外公演を多く行い、フランス新聞ル・モンド 」に紹介されたり、音楽チャートで1位になるなどの人気を獲得している。

音楽活動のほかに、雑誌でのエッセイ連載や、書籍なども数冊執筆。その個性的なキャラクターで『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 』『たけしの誰でもピカソ 』などのTV番組出演、また映画害虫 』をはじめ、いくつかの映画・舞台役者 として参加している。また空き缶 コレクター としても知られており、自分がこれまでに飲んだドリンク類の空き缶を約2万本ほど自宅に所蔵している。海外旅行した際に見つけた日本ではありえない材料を使ったジュース(中国の白樺ジュースがその代表)やあまり流通しなかった物の空き缶を中心にコレクションしており、フジテレビ の「パーソナルカウントダウン10 」でコレクションからお気に入りのベスト10を選んで解説している。上記した白樺ジュースは同番組で紹介した。その数は非公認ながらおそらく世界一。他にもインスタントラーメン の袋(ベビースターラーメン の様なラーメンスナックの袋も)やカップ麺の蓋(下述の「イラスト図鑑 インスタントラーメン」は、石川がコレクションしている物を掲載した書籍)や納豆 のパッケージ、また衛生用マスク(サージカルマスク)もパッケージごとコレクションしている。コレクションの一部は、公式ホームページで紹介している。

2000年 、アート系レンタルショーケース (貸し箱ギャラリー)の先駆けとされるアートショップ「ニヒル牛」(西荻窪 )をプロデュース 開店。手作りによる雑貨・アクセサリー、自主制作のアート作品などを展示販売するスペースを賃貸する形式であり、現在では同様の形態をとる店舗が都内を中心に広まっている。