nanoの芸能ブログ♪
楽曲・衣装・セットの点において独自の世界観を徹底した、奇抜なパフォーマンスで知られる。 楽曲の大きな特徴はクラシック音楽 とロックを巧みに織り交ぜた点にある。これはメンバーの多くが幼少期にクラシック音楽に触れていたことによる。衣装は白塗りの顔に中世ヨーロッパ文化を織り交ぜたものが大半を占めるが、あるメンバーには十二単調の衣装なども存在し、アーティスト写真によっては、各々バラバラのコンセプトととれるような衣装を纏っていたこともあった。 演劇要素を取り入れて、幻想 的なライブを行うのが魅力の一つであるが、初代ヴォーカルのTETSUはロックバンド指向の強い人物であったため、そういったパフォーマンスを嫌っており、脱退することとなった。 TETSUが脱退し、Gacktが加入した頃、Gackt自身はメンバーに「ステージで空を飛びたい」と語っている。 また、活動当時は電球を使わず蝋燭を照明として使用する、家具をロココ調 で揃えていると公言するなど公私に渡ってバンドの世界観を徹底させていた。「とんねるずのハンマープライス 」では「MALICE MIZERのメンバーが貴方の家を「マリスの館」にしてくれる権」を出品した。

また、ギターのManaはファンから「Mana様」の愛称で呼ばれ、表舞台では徹底して喋らない(因みにトークイベントなどの際には、隣に「通訳」の人員を置き、「耳打ち」によって間接的に発言する。Manaによる「Moi dix Mois」としてのヨーロッパでのイベントの際には、この「耳打ち」の光景に歓声があがるという)。

発表された曲のいずれもオリコン ランキングチャートの上位にランクイン[1] するヒットを飛ばし人気を博すが、1998年 12月にGacktが突如行方不明になる。ワイドショーやメディアでは「雲隠れ」と報道された。1999年 1月にファンクラブ広報で正式に脱退を表明。Gacktは自伝で「呼ばれて部屋に入ると事務所の人と残りのメンバー四人がいて、『メンバーはお前とはやっていけないといっている。』といわれた。自分は『ファンに対する責任はどうするんだ。』といったところ、『シングルだそうよ。どうせ売れるよ。』と言うメンバーがいたため、『ふざけるな、ファンをなめるな』と叫んで部屋を出た。」と書いている。さらに同年6月21日 、ドラムのKamiの突然の死と不慮の事態が続く。その後、しばらく3人での活動となり、2000年 7月にMALICE MIZER初期の頃よりライヴでのサポートや親交のあったKlaha(前身バンドPRIDE OF MIND)が「白い肌に狂う哀と悲しみの輪舞」でサポートヴォーカリストとして参加。その後、同月に正式に3代目MALICE MIZERヴォーカリストとして参加。着実にCDのセールスを上げ、他方映画出演などの活動の幅を広げていたが、2001年 12月に「各メンバーの自由な活動展開を」との考えから音楽活動を停止した。