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  • 芸名については最終候補は、「優香」か「優奈」かで迷ったらしいが、「優香」のほうが響きが強い感じがするので(本人談)「優香」に決定した。応募が17000通もあったので中には面白い名前もあり、「パンサー舞」という女子プロレスラー みたいな名前があった事は本人がよくネタにしている。また名付け親に選ばれた人には、優香と一日デート できる権利(ただし近くにスタッフ付き)が贈られた。
  • 以前は公式プロフィールに本名が記載されていたが、現在は記載がない。しかし、彼女が各種バラエティ番組 で紹介されたり、自ら本名を名乗ったりしており、本名が広く知られている。『とんねるずのみなさんのおかげでした 』では、頻繁にとんねるず から本名で呼ばれていたり、コント上の役名として本名を使ったりしている。
  • 元祖「癒し系」として有名だが、最近のグラビアアイドルのように、最初から「癒し系」として売り出した訳ではなかった。「癒し系」と呼ばれるようになったのはジョージアのCM の影響が大きく、水着 グラビア を卒業する頃とほぼ重なっている。したがってグラビア時代を知るファンは「癒し系」に違和感があるという向きも少なくないようである。また最近では「癒し系」というより「天真爛漫」なイメージを云う向きもある。優香自身は「癒し系」と云われる事については、まったくこだわっていないとのこと(本人談)。なお、実際に水着グラビアで活躍していたのは1997年 冬から2000年 春までである。
  • 2009年 7月10日 に発売された女性ファッション雑誌『FRaU 』8月号では表紙および記事写真にて、2000年春に発売されたの写真集「innocent」での水着以来、久しぶりに肌を見せた。
  • 家として有名で、「エアー」という名前のカニンヘンダックス(ダックスフント の一種)を飼っており、このペットを主人公とした絵本 『エアー』を発表している。優香の2006年 のカレンダーでも「エアー」と一緒に写っているページがある。また2008年 には「食識推進委員会」がペットの犬や猫に健康を考えた正しい食事の与え方を実践している人を表彰する「ベスト食識オーナー賞」の「著名人部門」に選出された。
  • お笑い 好きとしても有名で、テレビ はいつもバラエティ番組を中心に見るという(本人談)。志村けん とはデビュー直後の17歳の時から一緒にコント をしており(フジテレビ 系で放送される『志村けんのバカ殿様 』で演じる優香姫(バカ姫)などが有名)、志村けんからの評価・信頼も厚く、「志村ファミリー 」の一員だと志村はテレビで語っている。また関根勤 にもデビュー時から可愛がられており、総じてお笑い芸人からの評価は高い。そして優香自身も他の芸人 に対して詳しい知識を有しているようである。
  • 音楽Mr.Childrenaiko の大ファンで、aikoとはプライベートでも親交が深い。そして相川七瀬 とは家族ぐるみの付き合いをしている親友である。Mr.Childrenに関してはインタビューなどで理想のタイプとして桜井和寿 と名前を挙げるほどのファンである。一青窈ポップジャム に出演した時は、2人は近所同士だと話した。優香自身も、歌が上手いとは言い難いがカラオケ 好きである。
  • 小学生の頃に加勢大周 のファンだった事があり、切抜きをしてマグネットにしていた事がある。また牧瀬里穂 のポスターを自分の部屋に飾っていたとも語っていた[1]
  • 食べ物は辛いものが苦手であり、今でも唐辛子、わさび などは食べられないらしい(本人談)。番組『空飛ぶグータン~自分探しバラエティ~』で寿司 を食べた時もサビ抜きを頼んでいた。2008年1月2日 放送の愛のエプロン ではTOKIO城島茂 の作った激辛エビチリソースに顔を真っ赤にして悶絶している。
  • シンガーソングライター稲田光穂 に「この恋届きますように 」の詞を提供している。
  • レギュラー番組である『クイズプレゼンバラエティー Qさま!! 』では、度々青木さやか と張り合う姿もあり、バドミントンボウリング で直接対決し、それぞれ勝利した。しかし、高所恐怖症 の青木が「お仕置きQ」としてスカイダイビング をさせられた収録後、トイレ の洗面所で青木さやかが落ち込んでいる姿を見かけ、青木を慰めつつ2人で泣いた事もある。また、体力測定や鬼ごっこボウリング などの体力を使う企画では、他のメンバーに比べてあまり失敗がなく、わりと運動神経も良く、頑張り屋で負けず嫌いな一面を見せているが、水泳 は苦手であり、ロケで海中に沈められたときは、他の泳げる出演者につかまって岸までたどりついた。
  • 声優やナレーションと言った声だけの仕事が多いのも特徴。アニメ映画などの声優や、舞台 版『電車男 』のエルメス役の声だけの出演などの仕事に加え、『ポケットモンスター 』の映画のナレーションや、『ニュースステーション 』のドキュメント映像のナレーションの仕事も経験している。2008年時で映画には8本出演しているが、その中の6本は声優やナレーターとしての出演である。
  • タレント活動は高校時代からだが、スカウトされた当時に在学していた学校は芸能活動を許しておらず、2年次の途中にタレント活動専念のため日出女子高校 に転校している。多忙のため単位が取れず補習を受ける事も多く、補習は卒業式の直前まで続いたという。そのため、体育の授業は中学生と一緒のこともあったとファン向けのイベントで告白している。卒業式当日には日出女子高の屋上で単独記者会見を開いた。
  • デビュー以前、都心近くに住んでいた好意を寄せていた男性に、実家のあるあきる野市 が田舎だと思われるのが恥ずかしかったようで、その男性に出身地を聞かれた時には立川 と答えた事があったという(ちなみに生まれた場所は立川)。今は「もちろん、あきる野市が大好きです」と公言しており、「あきる野市の事をもっと知ってほしいと思っている」と発言している[1]
  • 初恋 は小学生の頃で、後に番組『ウンナンのホントコ! 』(TBS 系)の企画で、その初恋相手と再会した事がある。ファーストキスは中学3年生の頃だと『ロンドンハーツ 』などで語っている。
  • デビュー以来安定した人気を保っている。その理由はファン層の広さにあると言われ、司会から、コメディエンヌ、女優、声優、ナレーター、グラビアといった、幅広い仕事の影響で子供から中高年までファンがいる。視聴率 で有名なビデオリサーチ社 が年2回行なっている『好きなタレントランキング』では、ランキング上位の常連である。
  • 優香ファンを公言する大物著名人 も数多く、特に「俺は優香は好きなんかじゃない、大好物なんだ!」と発言した作家リリーフランキー や、『ホントコ』で未来日記 の主題歌を頼む際、見返りに優香の写真集を要求したアーティスト桑田佳祐アナウンサー大塚範一小倉智昭 、元来ファンで大河ドラマ『新選組!』のヒロインに抜擢したという脚本家三谷幸喜 、ドラマなどで度々共演するアイドルSMAP香取慎吾 や『情熱大陸 』(毎日放送)で「一番撮ってみたい人は優香」と即答し撮影した写真家梅佳代グータンヌーボ でファンだと告白した佐藤智仁オリンピック 男子マラソンでメダリストのエリック・ワイナイナ などは有名である。
  • 関根勤が熱烈な優香ファンであることは広く知られている。1990年代後半にグラビアで活躍しはじめた頃、関根の出演しているラジオ番組で優香の話題を振られた瞬間、最大エコーがかかって「優香~!優香~!」と絶叫して、しばしば企画の流れは中断。共演の小堺一機 は当初呆れ果てていたが、優香が番組にゲスト出演したあたりから、小堺も関根同様に優香の名前を絶叫するようになった。なお関根は、優香の本名である「広子」の由来について、「お父さんが『心が広い子に育つように』って付けたんです」と各所で吹聴している。
  • 一緒に番組の司会をしている、さまぁ~ず とはプライベートでも特に仲が良く、「男性 芸能人仕事プライベート などすべての事を話せるのはさまぁ~ずさんだけです」と公言しているほどである[2]
  • おぎやはぎ森山直太郎 のよい人柄を紹介する際に優香を引き合いに出し、「優香って、みんなに優しくて、『あれっ、もしかしてオレに気があるのかな』、と錯覚するほどやさしく接してくれる」けど、そういうのの男性版が直太郎君だね、と話していたり、[3] 仲里依紗グータンヌーボ の収録の際にレギュラーは誰に来てほしいか?の質問に「優香さんが来てほしい。優香さんは以前にお仕事をご一緒した時にも凄く良く(優しく)してもらった。」と語ったり[4] 品川祐 は、「優香ちゃんは僕がまだ売れてない時から、いつも気さくにやさしく声をかけてくれていた。」とブログ に書かれていたり[5] 。彼女の人柄を表すエピソードがある。
  • 2年に1度、世界のトップスイマーが一堂に会して開催される世界水泳 では2001年福岡 を筆頭に2003年バルセロナ2005年モントリオール 、そして2007年メルボルン 大会と4大会連続で日本勢の応援サポーター(キャスター)として出演していた。オーストラリア が誇る競泳界のスーパースターのイアン・ソープ には、最初の福岡大会では東京のスタジオ担当だったため一度も面識がなかったのだが、後に特番のオーストラリアロケで初対面した。その後もキャスターとしての取材活動もしており、Get Sportsテレビ朝日 系)ではシンクロナイズドスイミングのヴィルジニー・デデュー 選手にインタビュー取材も行っているほどである。福岡大会で銅メダルを獲得した、飛込競技大槻枝美 選手は中学時代の同級生であり、中継の際の掛け合いでは、優香の中学時代のニックネームが「岡部ちゃん」だったことも判明した。
  • 中学3年間、フェンシング の経験があったことから、北京五輪 の男子フルーレで太田雄貴 選手の銀メダル 獲得にとても感動したと述べている。[6]
  • 池袋パルコ前でスカウトされたとき、その池袋で同じ日、優香の数十分後に、ホリプロの別の社員によって藤原竜也 もスカウトされている(本人達はデビューするまで、同じ日にスカウトされた人物がいる事は知らなかったそうだ)。スカウトされて2ヶ月ほど経った後、ホリプロ社内でスカウトされた人達が集められオーディション が行われた。それに合格してデビューした(その時に合格したのは優香だけだったらしい)。なお、スカウトされてからオーディションまで一切の連絡がなかったため、『あぁ、やっぱり駄目だったんだなぁ』、と思っていたと語っている[7]