なみえの芸能・タレント・情報ブログ★

  • 2人共に吉本総合芸能学院 東京校(東京NSC)で出会い、1995年 コンビ結成。
  • コンビ名の由来は単純に二人の名字をあわせたもの。
    • 当初は「オレンジジュース」が候補に挙がっており、ほぼそのコンビ名で決まりかけていたが、決めかけた翌日に「何か違う」「『オレジュー』とか略されるんじゃないか」と考えが変わり、結局「品川庄司」にした。
    • 「品川庄司」という語感から、ピン芸人あるいは会社名(品川商事)と誤解されることもある。
    • 略称は一般的に「品庄(シナショウ)」だが、本人は「かっこいいから」という理由で「ガワジ」と呼ばれたいとのこと(「しなしょ~」と「ガワジ!」のネタより)。
  • 主なネタはしゃべくり漫才。かつてはコントが主だった。ネタの台本のほとんどを品川が作成している。
    • 以前、庄司に漫才ネタを書いて貰ったところ、二人でやるネタなのに登場人物が三人になっていた為、その後はすべて品川が台本を書くようになった。
  • 爆笑オンエアバトル 』にも出場経験がある。通算戦績7戦6勝。第3回チャンピオン大会では自身初、更にチャンピオン大会初のオーバー500を達成しファイナル進出を果たしたが、ボール2個差でルート33 に敗れチャンピオンを逃した。
  • 中川家 と共に2000年代のお笑いブームの少し前に売れてしまった為、「自分達はお笑いブームに上手く乗れていない」と発言する事がある。だが、雛壇芸人 として活躍しており、ゲスト出演も多い。そのため、決して勢いだけではなく、お笑いブームの中で安定している芸人である。
  • 2000年わらいのじかん の若手芸人のコーナーに出演した際にダウンタウン の目に止まり、後日HEY!3の前説に抜擢された。
  • M-1グランプリ は2002年・2004年と準決勝で敗退(2001年・2003年は参加見送)。コンビ結成10年目の2005年大会で決勝進出を果たした。最終決戦への進出はならなかったものの(4位)、島田洋七 から「番組が盛り上がる」、島田紳助 から「10年目だけあって稽古量が伝わってきて感動した」と評価を受けた。
  • コンビ仲はあまり良いとは言えないようで、現在でも「年に一度取っ組み合いの喧嘩になる」という。品川が小説「ドロップ」などピン活動が活発になり険悪になり、『めちゃ×2イケてるッ! 』に宣伝のために出演した際には、収録中のやりとりを巡って収録後に殴り合いのケンカに発展している。だが、映画「ドロップ」公開後はメールで感想のやりとりをする程コンビ仲が改善されたというのが本人たちの弁。しかし品川は新しい小説や映画の仕事にさらにやる気を出し、新しいネタを書くことはもう数年なく、庄司はピンでネタを披露する機会が増え、R-1出場にも意欲を見せていること、かつ品川が庄司の役割である筋肉キャラ・イケメンキャラにも浸食しつつあることから、共演者からコンビ仲について突っ込まれることは多い。
  • クイズ!ヘキサゴンII )の2010年3月17日放送分で2人揃って、21点で11(品川)・12(庄司)位になった事や紳助の問いに対し、2人が「仲は良い」と返した事から、同年5~6月頃に品川庄司として両A面での新曲発売及びオリコン初登場15位以下になると「ペナルティとして罰ゲームを行ってもらう」という事態になってしまった。これに対し品川は「(罰ゲームは)すべて庄司が行いますよ」と言い庄司から「なんでだよ。お前もやるんだよ」とつっこみを受けた。ちなみに観客からの反応は芳しくなく、発売前にも関わらず、街中で「ドンマイ」と言われてしまっているらしい。その後は品川は同年5月5日放送分にてスベラーズ と組んで、庄司は同年5月26日放送分にてエアバンド の後継ユニット「エアヴィジュアルバンド」として、CDを出す事が決定した。また、オリコンの順位も10位に上がり、観覧客からも上々の反応を貰う等、期待とハードルが上がっている状況に変化した。