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中学時代の同級生。中学3年の夏、川田が沖縄県立松城中学校に転校してゴリと同じクラスメイトとなり出会う。

役者志望だったゴリが日本大学 芸術学部 在学中に友人に「面白いからお笑いやればいいのに」と言われたひと言がきっかけでお笑いをやろうと思いつき大学を中退し、当時沖縄にいた中学生の時の同級生の川田広樹 を誘いガレッジセールを結成する。

1995年東京吉本総合学院 (東京NSC)第1期生への入学を希望するが、すでに入学受付は終了。ゴリが雑誌で渋谷公園通り劇場 の存在を知り「芸人にしてほしい」と申し入れるが、芸人養成はしていないと断られる。その時偶然見つけた「ボランティアスタッフ」を知り、無給にて月曜から金曜まで1日15時間を劇場のスタッフとして働く。

無給で働く条件として「本番中だけ芸の勉強をしたい」と要求し、先輩芸人の芸を勉強しながら雑用や会場作り、客の呼び込み、当時劇場で活躍していたココリコロンドンブーツ1号2号 ら芸人を楽屋からステージまで誘導、といった仕事をしていた。

初舞台はボランティアスタッフになってから半年後であった。カルト芸人トーナメント『続・やけど温泉』に参加し準優勝する。それが認められ、渋谷公園通り劇場 の第1号芸人となる。その時準優勝した映像は2007年 の『メントレG 』(フジテレビ 系)で初公開された。

吉本では、初舞台からが芸歴の始まりとカウントされるため、東京NSC第1期生である品川庄司 はガレッジセールのことを先輩として接している(アメトーーク より品川 談)。大阪NSC で14期にあたり、ブラックマヨネーズ に対してはデビュー年は同じだが、ブラックマヨネーズが半年先輩にあたるため、タメ口交じりだが敬語で接している。

コンビ名は「ガレージセール(自宅車庫を即席の店舗にして、家の不用品を通行人に売る)のように、気軽に売り出せる笑いを」の思いを込めて、渋谷公園通り劇場の作家に命名してもらったものである。当初は「ガレージセール」であった。しかし、2人は当時、「ガレージセール」が言いにくく、最初の「ー」の部分を「ッ」に変えたら言いやすかったという事から、現在の「ガレッジセール」になった。ただ、反抗の意味がないというわけでもない。ちなみに、ボツになった芸名としては「さとうきび畑でつかまえて」「具志堅ようこそ」がある。

その後ガレッジセールの2人は、ロンドンブーツ1号2号 が司会の『ロンブー荘青春記 』(日本テレビ 系)をきっかけに出演機会を増やしていく。ちなみに川田・ゴリ共、『ロンブー荘』出演時は“年齢は共に19歳”という年齢詐称をしていた。この番組内で田村淳 が本名で活動していた照屋を「ゴリ」と名付け、そのまま芸名として使うようになった。

後に、ゴリの名前の由来は本人いわく、某番組の番組ディレクターが付けたと『ヨシモト∞ 』で発言した。

その後、自分たちの冠番組 をもてるまでに成長した。今は「ゴリエ 」と「川ちゃん」という、『ワンナイR&R 』の番組から生まれた2人のキャラクターが人気を集めた。出身地の沖縄が舞台のNHK 連続テレビ小説ちゅらさん 』にも2人で出演していた。