長野県
でボーカルのヒデロウ、ギターのキリト、潤を中心にDizy-Lizy
が結成される。 後にベースのKOHTA、ドラムのTAKEOが加入し、バンド名が「ピエロ」となる。これは、「ポップな可愛らしさと裏に怖い部分がある」点がバンドの音楽性と共通していたという理由でのキリトによる命名である。その後、キリトがボーカルに転向、ヒデロウが脱退、ギターのアイジが加入して、バンド名が「Pierrot」となる。なお、メジャーファーストアルバム『FINALE』リリース時よりバンド名表記を「PIERROT」と大文字に変更した。
1998年8月7日、富士急ハイランド で開催された「ビューティフル・モンスターズ・ツアー」に、主催のマリリン・マンソン 側の依頼で参加、メガデス 、ミスフィッツ などと共演した。しかしこの公演に先駆け、伊藤政則 が自身のラジオ番組で「なぜPIERROTが参加できるのか」という挑発とも取れる趣旨の発言を行ったため、キリトはそれに答える形で、本番数週間前のライブにて「敵は伊藤政則だ」とMCで発言。さらに当日のライブでは「みなさん相変わらず外国人相手にヘラヘラしてますか?」「あなたたちの国籍は一体どこなんでしょう?」「この中でどれだけの人が、外国人とセックスをするために、スタッフからバックステージパスをもらっているのでしょう?」などと過激なMCを行い、当時の音楽誌などで話題となった。
発言の原因、理由としてPIERROT、PIERROTファンに対する、マリリン・マンソンのファンサイト、洋楽ファンの声が集まる場所などでの過激な発言、
「軟弱な日本のビジュアル系ファンなんか潰しちまおうぜ」「演奏できないくらいブーイングしてさっさと引っ込めてしまおう」「どさくさに紛れて殴っちゃってもばれないかな?」
等のインターネットで見た悪質な書き込みに対して、客席で起こるトラブルには対処出来ない事を危惧したキリトが、自分達だけに怒りや、憎しみを向けさせるためだとしている。
この考え方自体が本人曰く「このあたりが僕の思考回路の狂った部分かもしれない」と説明している。[3]
2001年7月23日、西武ドーム で行われた『Dictators Circus V』にて初のドーム公演を行う。これはメジャーデビュー後628日というドーム公演としては当時の最短記録であった。
ファンクラブは、1999年に発足した当初はArlequin(アルルクゥアン)だったが、2004年にFOLLOWERSに改名。Arlequinとはフランス語で「ピエロ」という意で、ギターの潤が名付けた。メジャーデビューシングル「クリア・スカイ」がオリコンチャート6位にランクインし、以後リリースシングルを確実にTOP10入りさせている。