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俺は目の前のあいつを睨みつけた。俺はあいつが憎かった。
俺の周りは今、敵だらけだった。みんな、あいつの味方だ。
俺は今、孤立無援だった。俺の人生でこんな日が来ようとは。
あいつは俺を、容赦なく攻撃してくる。みんな、それに対して歓声を挙げる。
俺は思わずその場に倒れ込んだ。俺の中には、沸々と抑え難い感情がわき上がって来た。
ふっざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!
俺はそれを全身で表現した。周囲は一瞬、弱気になった。そして、目の前のあいつに向かって必死にエールを送り始めた。しかし、俺の感情にもはや歯止めは効かなかった。俺はあいつにむかって思い切り突っ込んだ。
あいつは倒れ込んだ。俺があいつの上に覆いかぶさるような形になった。俺は憎しみに任せて、あいつを容赦なく、ぼこぼこにした。
周囲はその様子に耐えきれず、必死にあいつに向かって呼びかける。全く、一人くらい俺に味方してくれる奴がいてもいいんじゃないのか。
俺は切なくなった。やりきれなくなった。
その思いはさらに俺の拳を固くして、あいつの体に食い込んだ。もはや周囲の声は聞こえなかった。俺は俺のやりきれない思いに身を任せた。
あいつはもう、ぐったりとし、動かなくなった。あいつが生きてようが、死んでようがもうどうでも良いことだ。これで、俺の力を周囲に知らしめることが出来たし、あいつがもう、俺の邪魔をしてくることもないだろう。
くっくっくと笑いが溢れた。俺は全身で、高笑いをした。俺の笑い声は、あたり一体に響き渡った。
案の定、辺りはしんとして、ただ呆然と、動かないあいつを見ていた。涙ぐんでる奴すらいた。
俺は静かにその場を立ち去ろうとした。もはやここに俺は用がない。
その時。
俺の背後から大きな歓声が聞こえた。俺は何事かと振り返った。
「なにっ。」
あいつがなんと、立ち上がり、仁王立ちしている。
その後ろから光が満ち、体が輝いている。
「みんな、僕にまかせておけ!」
大衆は彼の言葉に歓声を挙げた。
「お前はもう、俺と戦える状態では…」
俺は狼狽した。
「みんなが僕を待っていてくれる限り、僕は何度でも立ち上がる!みんなの為に僕は戦い続ける!覚悟しろ!」
「ちっくしょぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」
俺はあいつに向かって突進した。
「おしまいだぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
周囲が叫んだ。
「まかせておけ!」
あいつは大衆に向かって、ガッツポーズを見せた。
「喰らえっ!!!!!!!」
「受けてみろ!スペシャルスターリングスターハレーション!!!!」
あいつは胸の前で両腕を十字にクロスさせた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!目がぁ!目がぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
俺はその場に倒れ込んで、しばらく苦しんだ後、動かなくなった。
うわぁと大衆の歓声が聞こえた。
何で、何でこんな目に遭うんだか。目ぐらいで死ぬわけないだろ、阿呆らしい。この世界は理不尽なことバッカリだ。
俺はスタッフに引きずられて、退場した。スーパースターマンはみんなに手を振り続けていた。
「タナカさん、今日もすごく良かったですよ。白熱の演技でしたね!」
俺を回収してくれた、スタッフのヤマモトミキコちゃん(23)だ。
俺はマスクをとった。
「そうでしたか、今日はちょっとやりすぎちゃったかなと思ったんですけど。」
「全然!そんなことないですよぉ~。今日でスーパースターマンショーが最後になっちゃうなんて寂しいです。」
そうだよな、俺と会うのが最後だから寂しいってわけではないよな。俺は少し、ミキコちゃんに期待を寄せていた。
「まぁ、番組改変期だからね、しょうがないよね~。」
「次の、ワイルドリバティマンショーなんて、台本見せてもらったら「自由の為に戦う!」なんて胡散臭くって。俳優さんがかわいそうです。」
「はははは…。」
スーパースターマンショーも十分胡散臭いし、俳優がかわいそうに俺は感じられた。
俺が控え室で着替えていると、スーパースターマンのサイン会を終えた、マスダさんがニコニコしながら帰って来た。
「いやぁ、タナカさんおつかれさまです。」
「おつかれさまです。」
俺は笑顔で軽く会釈をした。
「いやぁ、子供達はやっぱりかわいいですねぇ。体操教室、また始めたくなっちゃいましたよ。」
マスダさんはほろほろと顔をほころばせながら、全身スパンコールの散りばめられた、スーパースターマンの衣装を脱いだ。
「そうですねぇ、元気もらえますよね。」
俺は黒い、ごつごつとした鱗がたくさんついた、分厚い衣装をドサッと脱いだ。
「タナカさんは今日で最後でしたっけ。」
「そうなんですよ。マスダさんは今日だけ、ですか?」
「いえ、私は次のワイルドリバティマンにも出演することになってるんですよ。今日は一応再公演なので、練習ということで出していただけて。」
「へぇぇ!がんばってくださいね!」
「ありがとうございます。もう私、病み付きになっちゃいそうですよ。よーし、がんばるぞ。」
そして、マスダさんはスーパースターマンの決めポーズを決めた。
その後、俺はそそくさと控え室を後にした。
俺が派遣会社GMC(グッドマテリアルカンパニー)に登録したのは約一年半前。浪人生をドロップアウトして、秋から働き始めた。最初の半年間は、清掃員をやっていたが、春になると、俺の経歴とタイプにピッタリの仕事があると紹介されたのが、今楽園遊園地のヒーローショーの仕事だった。
俺は当然、ヒーローの役が出来るもんだと思っていたが、やらせてもらえたのは最終日の最終公演一回だけ。次の日いってみると、例の怪獣の衣装が用意されていたというわけだ。がんばれマスダさん。俺は心の中でエールを送った。
この派遣も任期を終え、俺は次の仕事を探していた。俺はそろそろどこかの正社員になろうかとも考えていた。
でも、それは自分の可能性を生かし切っていない気がした。どこかで敗北感を味わうような気がしていた。
だから俺は安定した収入という甘い誘惑に揺さぶられながら、自分の可能性を探して、派遣を続けていた。
そもそも、高卒の俺が、どこかの安定した会社の社員になるなど、今の時代は甘い妄想に過ぎない。
俺に残された道は二つ。派遣を続ける、か、才能で食ってく。だった。
俺は夕方のラッシュに体をねじ込んだ。出社時間と退社時間はいっちょまえに本職のサラリーマンと一緒だというのが、なんだか俺を切ない気持ちにさせた。
俺と同じような年の奴らはみんな、ぴしっと決まったスーツをまとって、日々、社会と戦っているのだ。
俺が、怪獣の衣装をまとって、正義と戦っている一方で。
彼らはこれから、飲みに行ったり、恋人と過ごしたり、あるいはジムに行って汗を流したりするんだろうか。
電車はようやく俺の家の最寄り駅に付き、俺は電車の中から、人に押し出されるようにして、外に産み落とされた。電車は、人の出入りがなくなると、ぴしゃりとドアを締め、轟音とともに重そうな体を走らせて行った。
俺は疲労感でしばらくぼんやりとホームに立っていた。
すると、背中のリュックサックの中で、携帯が鳴った。
俺は慌ててリュックを肩から降ろし、手を突っ込んで携帯の在処を探った。
ようやく携帯を発見し、着信をみると、GMCだった。俺は素早く通話ボタンを押した。
「はい、田中です。」
「あ、私、グッドマテリアルカンパニー人事担当のイノウエでございます。」
無駄がなく、てきぱきとした、女性の声が響く。
「先日は、お仕事をしていただいてありがとうございました。」
先日というか、今日もしてたがな、俺は心の中で突っ込んだ。
「あ、はい。」
「それで、ですね、前回の派遣先様とのお仕事の契約がもうそろそろ終了、ということで本日は新しいお仕事の紹介の為にお電話させていただきました。」
「はい。」
「新しくお仕事を契約される場合は一度、本社に来て、説明を受けていただく必要がありますが、次回はどうされますか。」
ラッキーだ。もう新しい仕事が見つかるかもしれない。
「あ、じゃあ、説明を聞いてみたいので、明日伺っても大丈夫ですか。」
「分かりました。では、明日の14:00ごろ、新宿本社までお越し下さい。お待ちしております。」
「はい。よろしくおねがいします。」
「失礼します。」
「よっしゃぁ。」
俺はその場で小さくガッツポーズをした。
俺はまだ、その先に待ち受けていることを知る由もなかった。
俺自身まだ、自分が社会の中で回る、ちっぽけな歯車でしかないと思っていたからだ。
俺の周りは今、敵だらけだった。みんな、あいつの味方だ。
俺は今、孤立無援だった。俺の人生でこんな日が来ようとは。
あいつは俺を、容赦なく攻撃してくる。みんな、それに対して歓声を挙げる。
俺は思わずその場に倒れ込んだ。俺の中には、沸々と抑え難い感情がわき上がって来た。
ふっざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!
俺はそれを全身で表現した。周囲は一瞬、弱気になった。そして、目の前のあいつに向かって必死にエールを送り始めた。しかし、俺の感情にもはや歯止めは効かなかった。俺はあいつにむかって思い切り突っ込んだ。
あいつは倒れ込んだ。俺があいつの上に覆いかぶさるような形になった。俺は憎しみに任せて、あいつを容赦なく、ぼこぼこにした。
周囲はその様子に耐えきれず、必死にあいつに向かって呼びかける。全く、一人くらい俺に味方してくれる奴がいてもいいんじゃないのか。
俺は切なくなった。やりきれなくなった。
その思いはさらに俺の拳を固くして、あいつの体に食い込んだ。もはや周囲の声は聞こえなかった。俺は俺のやりきれない思いに身を任せた。
あいつはもう、ぐったりとし、動かなくなった。あいつが生きてようが、死んでようがもうどうでも良いことだ。これで、俺の力を周囲に知らしめることが出来たし、あいつがもう、俺の邪魔をしてくることもないだろう。
くっくっくと笑いが溢れた。俺は全身で、高笑いをした。俺の笑い声は、あたり一体に響き渡った。
案の定、辺りはしんとして、ただ呆然と、動かないあいつを見ていた。涙ぐんでる奴すらいた。
俺は静かにその場を立ち去ろうとした。もはやここに俺は用がない。
その時。
俺の背後から大きな歓声が聞こえた。俺は何事かと振り返った。
「なにっ。」
あいつがなんと、立ち上がり、仁王立ちしている。
その後ろから光が満ち、体が輝いている。
「みんな、僕にまかせておけ!」
大衆は彼の言葉に歓声を挙げた。
「お前はもう、俺と戦える状態では…」
俺は狼狽した。
「みんなが僕を待っていてくれる限り、僕は何度でも立ち上がる!みんなの為に僕は戦い続ける!覚悟しろ!」
「ちっくしょぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」
俺はあいつに向かって突進した。
「おしまいだぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
周囲が叫んだ。
「まかせておけ!」
あいつは大衆に向かって、ガッツポーズを見せた。
「喰らえっ!!!!!!!」
「受けてみろ!スペシャルスターリングスターハレーション!!!!」
あいつは胸の前で両腕を十字にクロスさせた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!目がぁ!目がぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
俺はその場に倒れ込んで、しばらく苦しんだ後、動かなくなった。
うわぁと大衆の歓声が聞こえた。
何で、何でこんな目に遭うんだか。目ぐらいで死ぬわけないだろ、阿呆らしい。この世界は理不尽なことバッカリだ。
俺はスタッフに引きずられて、退場した。スーパースターマンはみんなに手を振り続けていた。
「タナカさん、今日もすごく良かったですよ。白熱の演技でしたね!」
俺を回収してくれた、スタッフのヤマモトミキコちゃん(23)だ。
俺はマスクをとった。
「そうでしたか、今日はちょっとやりすぎちゃったかなと思ったんですけど。」
「全然!そんなことないですよぉ~。今日でスーパースターマンショーが最後になっちゃうなんて寂しいです。」
そうだよな、俺と会うのが最後だから寂しいってわけではないよな。俺は少し、ミキコちゃんに期待を寄せていた。
「まぁ、番組改変期だからね、しょうがないよね~。」
「次の、ワイルドリバティマンショーなんて、台本見せてもらったら「自由の為に戦う!」なんて胡散臭くって。俳優さんがかわいそうです。」
「はははは…。」
スーパースターマンショーも十分胡散臭いし、俳優がかわいそうに俺は感じられた。
俺が控え室で着替えていると、スーパースターマンのサイン会を終えた、マスダさんがニコニコしながら帰って来た。
「いやぁ、タナカさんおつかれさまです。」
「おつかれさまです。」
俺は笑顔で軽く会釈をした。
「いやぁ、子供達はやっぱりかわいいですねぇ。体操教室、また始めたくなっちゃいましたよ。」
マスダさんはほろほろと顔をほころばせながら、全身スパンコールの散りばめられた、スーパースターマンの衣装を脱いだ。
「そうですねぇ、元気もらえますよね。」
俺は黒い、ごつごつとした鱗がたくさんついた、分厚い衣装をドサッと脱いだ。
「タナカさんは今日で最後でしたっけ。」
「そうなんですよ。マスダさんは今日だけ、ですか?」
「いえ、私は次のワイルドリバティマンにも出演することになってるんですよ。今日は一応再公演なので、練習ということで出していただけて。」
「へぇぇ!がんばってくださいね!」
「ありがとうございます。もう私、病み付きになっちゃいそうですよ。よーし、がんばるぞ。」
そして、マスダさんはスーパースターマンの決めポーズを決めた。
その後、俺はそそくさと控え室を後にした。
俺が派遣会社GMC(グッドマテリアルカンパニー)に登録したのは約一年半前。浪人生をドロップアウトして、秋から働き始めた。最初の半年間は、清掃員をやっていたが、春になると、俺の経歴とタイプにピッタリの仕事があると紹介されたのが、今楽園遊園地のヒーローショーの仕事だった。
俺は当然、ヒーローの役が出来るもんだと思っていたが、やらせてもらえたのは最終日の最終公演一回だけ。次の日いってみると、例の怪獣の衣装が用意されていたというわけだ。がんばれマスダさん。俺は心の中でエールを送った。
この派遣も任期を終え、俺は次の仕事を探していた。俺はそろそろどこかの正社員になろうかとも考えていた。
でも、それは自分の可能性を生かし切っていない気がした。どこかで敗北感を味わうような気がしていた。
だから俺は安定した収入という甘い誘惑に揺さぶられながら、自分の可能性を探して、派遣を続けていた。
そもそも、高卒の俺が、どこかの安定した会社の社員になるなど、今の時代は甘い妄想に過ぎない。
俺に残された道は二つ。派遣を続ける、か、才能で食ってく。だった。
俺は夕方のラッシュに体をねじ込んだ。出社時間と退社時間はいっちょまえに本職のサラリーマンと一緒だというのが、なんだか俺を切ない気持ちにさせた。
俺と同じような年の奴らはみんな、ぴしっと決まったスーツをまとって、日々、社会と戦っているのだ。
俺が、怪獣の衣装をまとって、正義と戦っている一方で。
彼らはこれから、飲みに行ったり、恋人と過ごしたり、あるいはジムに行って汗を流したりするんだろうか。
電車はようやく俺の家の最寄り駅に付き、俺は電車の中から、人に押し出されるようにして、外に産み落とされた。電車は、人の出入りがなくなると、ぴしゃりとドアを締め、轟音とともに重そうな体を走らせて行った。
俺は疲労感でしばらくぼんやりとホームに立っていた。
すると、背中のリュックサックの中で、携帯が鳴った。
俺は慌ててリュックを肩から降ろし、手を突っ込んで携帯の在処を探った。
ようやく携帯を発見し、着信をみると、GMCだった。俺は素早く通話ボタンを押した。
「はい、田中です。」
「あ、私、グッドマテリアルカンパニー人事担当のイノウエでございます。」
無駄がなく、てきぱきとした、女性の声が響く。
「先日は、お仕事をしていただいてありがとうございました。」
先日というか、今日もしてたがな、俺は心の中で突っ込んだ。
「あ、はい。」
「それで、ですね、前回の派遣先様とのお仕事の契約がもうそろそろ終了、ということで本日は新しいお仕事の紹介の為にお電話させていただきました。」
「はい。」
「新しくお仕事を契約される場合は一度、本社に来て、説明を受けていただく必要がありますが、次回はどうされますか。」
ラッキーだ。もう新しい仕事が見つかるかもしれない。
「あ、じゃあ、説明を聞いてみたいので、明日伺っても大丈夫ですか。」
「分かりました。では、明日の14:00ごろ、新宿本社までお越し下さい。お待ちしております。」
「はい。よろしくおねがいします。」
「失礼します。」
「よっしゃぁ。」
俺はその場で小さくガッツポーズをした。
俺はまだ、その先に待ち受けていることを知る由もなかった。
俺自身まだ、自分が社会の中で回る、ちっぽけな歯車でしかないと思っていたからだ。
果たして俺は演劇部のスターになれたのか?というと答えは否だった。実際のところ、俺はそんなに人目を引く容姿を持っているわけでも、ものすごい演技力を持っていたわけでもなかった。文化祭やら、その他のイベントやらで、ことごとく俺は主役に立候補したが、ことごとく夢は敗れた。部活動生活2年間の中で、俺がしゃべった一番長い台詞といえば、
「そうだ、私がお前の父親だ。息子よ!」だった。
高校3年も近づき、俺は進路にあれこれと迷っていた。しかし、当然、俳優として生きる道を考えていた俺はそれ以外の道について全く検討してこなかった。つまり、学力も情報も圧倒的に劣っていた。
とりあえず、演劇部の友人も予備校に通い始めたのをきっかけに、俺もなんとなく同じところに入学した。
無気力な日々が続いた。目指す大学もないまま、学校へ行き、そのあと予備校へ行き、夜遅くに帰宅し、眠り、朝起きて学校へ行き…そんな日々が続いた。俺はかつてのやる気に満ちあふれていた自分を懐かしんだ。
俺はとりあえず、そこそこと言われている文学部に願書を出し、当然のごとくだだ滑りし、悪夢の浪人生活に突入した…。
か、に思えた。
約一年後。俺は黒の革のパンツに、ライダースジャケット、ブーツといった出で立ちで町を歩いていた。
アスファルトを歩く足が自然とビートを刻んでるように感じた。それは、俺の体にロックの血が流れているから以外に理由は考えられなかった。肩には相棒のハヤブサ(マイギター)を背負い、俺はライブハウスへ向かっていた。
俺の胸は高鳴っていた。その日、マスターの前で、演奏をし、OKが出れば晴れてライブハウスに出演できることになっていた。ライブハウスに出演してからのなりゆきは目に見えたようだった。
ライブハウスの入り口の前には、すでにメンバーのナリユキ(ギター)、ダセイ(ベース)、カイショウ(ドラム)が揃っていた。俺たち、グローリアスソイソースはお互い浪人生として通っていた予備校で出会った。始めは同じ一浪だったナリユキに出会い、俺たちはすぐに意気投合した。そして、ナリユキから借りたレッドホットチリペッパーズのCDこそが俺の運命を大きく変えることになった。
俺は雷に打たれたような衝撃を受けた。これこそが俺がやるべきことだったのだと、俺は確信した。神は俺に音楽の才能を与え賜った。
バンドをやろう、というと、ナリユキは始め受験があるからと断ったが、次の日、乗りかかった船だ。と結成を誓った。その後、三浪中のダセイ、七浪中のカイショウもメンバーに加わり、晴れてバンド結成の運びとなった。
「おい、カツトシ、一応履歴書は持って来たか。」
ナリユキが聞いた。
「ああ、もちろん。」
「よし、皆持って来てるな。もしかしたら、ライブハウスのマスターが俺たちの曲を聞いて、いきなりレコード会社に話をつけてくれるかもしれないからな。」
ナリユキは腕組みをしながら言った。
「この曲なら、それもありえるよな。」
ダセイが賛同した。
「ライブハウスでちまちまやってるほうがもったいないって思われるよなきっと。」
カイショウも口を揃えた。
俺も全く同感だった。俺たちの自信作「ジェンダー」は今の男女差別化の撲滅をテーマにした、全く新しいロックだった。俺たちはそれを、社会派ロックと読んでいた。
サビの部分の高音で「ジェンダー!ジェンダー!」と叫ぶところなんかは、メロディも社会的メッセージも秀逸だ。
まさに、時事的社会問題に敏感な文系受験生ならではの音楽だ。
「よし、いくか。」
ナリユキに続いて俺たちは狭く暗い、ライブハウスへの階段を下った。
ライブハウスのドアをあけると、初老で少し小太りの男性が待っていた。俺のイメージしていたライブハウスのマスターよりも上品な感じがした。こんなおとなしそうな人が、果たして俺たちの激しいロックなんか理解できるのだろうか、と俺は少し不安になった。
しかし、俺の不安をよそにナリユキは積極的にマスターにあいさつした。
「初めまして、この間連絡させてもらった、グローリアスソイソースです。」
「ああ、待っていたよ。立ち話もなんだから、じゃあ早速演奏を聞かせてもらおうか。」
「はい!」
俺たちは声を揃えた。
マスターは一番前の席に座った。
「じゃあ、始めます。」
俺はマイクに向かって言った。
「ま、ちょっとまてよ。」
カイショウがまだもたもたと準備をしていた。ナリユキがキッとカイショウを睨みつけた。
カイショウが右手で小さく○を作って準備ができたことを示した。
「じゃあ、始めます。」
ナリユキと俺のギターが激しくなり響いた。カイショウとダセイの刻む破壊的なビートに乗って、俺は、職場で上司に不当な扱いを受けたOLの煮えたぎるような情熱を「ジェンダー!」に込めて連呼した。その日俺たちは最高の演奏をした。
演奏が終わると、みんなの顔を見れば、その気持ちが同じだということはすぐに分かった。
俺たちは、俺たちは、やったんだ--------------------------------
「おい、」
演奏後の感傷に浸っている俺に、ふとナリユキが呼びかけた。
「んっ?」
「あの、マスターどうしたんだろう。」
そう言われて、ふとマスターの方を見ると、うつむいてびくともしない。確かにおかしい。
「お前、声かけてみろよ。」
「お、おう。」
ナリユキに急かされて、俺はマイクに向かってマスターに呼びかけてみた。
「あ、あのおー。どうでしたか、俺たちの演奏。」
マスターはびくともしなかった。
「かせ。」
ナリユキが俺からマイクを奪い取って、今度は自分で呼びかけた。
「すみませーん!マスター、どうでしたかね僕たちの演奏!感想とか聞かせていただけるとうれしいんですけど!」
マスターからは何も返って来なかった。
一瞬全員が黙った。
「死んでたりして。」
ダセイがぼそっと言った。
「ば、バカ言うなよ。」
ナリユキが否定した。しかし再び全員が黙った。
「カイショウ、行けよ。」
ナリユキが促した。
「え、なんで、おれ。」
「お前、最初もたついただろ、チームの風紀を乱したペナルティだよ。」
カイショウは何か言いたそいうに口をもぐもぐ動かしたが、諦めて言われるまま、舞台を降りた。
カイショウはおそる、おそる、マスターに近づき、ぽんぽん、とその肩を二回叩いた。
すると、マスターの体はずるり、と椅子から落ち、仰向けに地面に倒れた。
「うわああああああああああああ!!!!!!!」
カイショウが絶叫した。
マスターは白目を向き、口から泡を吹いていた。
「ま、まずいぞ!」
「うわぁ、どうなってんだ!」
「とりあえず、きゅ、救急車だ!救急車!」
俺は携帯を取り出して、大急ぎで119にダイアルした。俺が人生で初めて救急車を呼んだ日だった。
救急隊員は10分くらいで、到着し、マスターは病院に搬送された。俺たちは何がなんだか分からないまま、バラバラとその日は解散した。
その数日後、ナリユキが採用の結果を聞くために、例のライブハウスに電話すした。
どうやらマスターは入院してしまったらしく、しばらくライブハウスは休業することになったということだった。というわけで、俺たちの初売り込みは散々な結果に終わった。
その後、何軒かのライブハウスを回ったが、どこでも首を縦に振られることはなかった。あの日以上の演奏はすることができなかったし、次第に俺たちのモチベーションも下がっていった。一人抜け、二人抜け、やがてバンドは空中分解的に消滅した。
俺もその頃になると、自分の音楽的才能にはすっかり自信を持てなくなっていた。ナリユキとダセイはその後、大学に合格し、カイショウは消息不明になった。
俺はというと、もともと、どうにも大学受験へのモチベーションが上がらなかったので、そのまま、流行りの大手人材派遣会社に登録して、働くことにした。
「そうだ、私がお前の父親だ。息子よ!」だった。
高校3年も近づき、俺は進路にあれこれと迷っていた。しかし、当然、俳優として生きる道を考えていた俺はそれ以外の道について全く検討してこなかった。つまり、学力も情報も圧倒的に劣っていた。
とりあえず、演劇部の友人も予備校に通い始めたのをきっかけに、俺もなんとなく同じところに入学した。
無気力な日々が続いた。目指す大学もないまま、学校へ行き、そのあと予備校へ行き、夜遅くに帰宅し、眠り、朝起きて学校へ行き…そんな日々が続いた。俺はかつてのやる気に満ちあふれていた自分を懐かしんだ。
俺はとりあえず、そこそこと言われている文学部に願書を出し、当然のごとくだだ滑りし、悪夢の浪人生活に突入した…。
か、に思えた。
約一年後。俺は黒の革のパンツに、ライダースジャケット、ブーツといった出で立ちで町を歩いていた。
アスファルトを歩く足が自然とビートを刻んでるように感じた。それは、俺の体にロックの血が流れているから以外に理由は考えられなかった。肩には相棒のハヤブサ(マイギター)を背負い、俺はライブハウスへ向かっていた。
俺の胸は高鳴っていた。その日、マスターの前で、演奏をし、OKが出れば晴れてライブハウスに出演できることになっていた。ライブハウスに出演してからのなりゆきは目に見えたようだった。
ライブハウスの入り口の前には、すでにメンバーのナリユキ(ギター)、ダセイ(ベース)、カイショウ(ドラム)が揃っていた。俺たち、グローリアスソイソースはお互い浪人生として通っていた予備校で出会った。始めは同じ一浪だったナリユキに出会い、俺たちはすぐに意気投合した。そして、ナリユキから借りたレッドホットチリペッパーズのCDこそが俺の運命を大きく変えることになった。
俺は雷に打たれたような衝撃を受けた。これこそが俺がやるべきことだったのだと、俺は確信した。神は俺に音楽の才能を与え賜った。
バンドをやろう、というと、ナリユキは始め受験があるからと断ったが、次の日、乗りかかった船だ。と結成を誓った。その後、三浪中のダセイ、七浪中のカイショウもメンバーに加わり、晴れてバンド結成の運びとなった。
「おい、カツトシ、一応履歴書は持って来たか。」
ナリユキが聞いた。
「ああ、もちろん。」
「よし、皆持って来てるな。もしかしたら、ライブハウスのマスターが俺たちの曲を聞いて、いきなりレコード会社に話をつけてくれるかもしれないからな。」
ナリユキは腕組みをしながら言った。
「この曲なら、それもありえるよな。」
ダセイが賛同した。
「ライブハウスでちまちまやってるほうがもったいないって思われるよなきっと。」
カイショウも口を揃えた。
俺も全く同感だった。俺たちの自信作「ジェンダー」は今の男女差別化の撲滅をテーマにした、全く新しいロックだった。俺たちはそれを、社会派ロックと読んでいた。
サビの部分の高音で「ジェンダー!ジェンダー!」と叫ぶところなんかは、メロディも社会的メッセージも秀逸だ。
まさに、時事的社会問題に敏感な文系受験生ならではの音楽だ。
「よし、いくか。」
ナリユキに続いて俺たちは狭く暗い、ライブハウスへの階段を下った。
ライブハウスのドアをあけると、初老で少し小太りの男性が待っていた。俺のイメージしていたライブハウスのマスターよりも上品な感じがした。こんなおとなしそうな人が、果たして俺たちの激しいロックなんか理解できるのだろうか、と俺は少し不安になった。
しかし、俺の不安をよそにナリユキは積極的にマスターにあいさつした。
「初めまして、この間連絡させてもらった、グローリアスソイソースです。」
「ああ、待っていたよ。立ち話もなんだから、じゃあ早速演奏を聞かせてもらおうか。」
「はい!」
俺たちは声を揃えた。
マスターは一番前の席に座った。
「じゃあ、始めます。」
俺はマイクに向かって言った。
「ま、ちょっとまてよ。」
カイショウがまだもたもたと準備をしていた。ナリユキがキッとカイショウを睨みつけた。
カイショウが右手で小さく○を作って準備ができたことを示した。
「じゃあ、始めます。」
ナリユキと俺のギターが激しくなり響いた。カイショウとダセイの刻む破壊的なビートに乗って、俺は、職場で上司に不当な扱いを受けたOLの煮えたぎるような情熱を「ジェンダー!」に込めて連呼した。その日俺たちは最高の演奏をした。
演奏が終わると、みんなの顔を見れば、その気持ちが同じだということはすぐに分かった。
俺たちは、俺たちは、やったんだ--------------------------------
「おい、」
演奏後の感傷に浸っている俺に、ふとナリユキが呼びかけた。
「んっ?」
「あの、マスターどうしたんだろう。」
そう言われて、ふとマスターの方を見ると、うつむいてびくともしない。確かにおかしい。
「お前、声かけてみろよ。」
「お、おう。」
ナリユキに急かされて、俺はマイクに向かってマスターに呼びかけてみた。
「あ、あのおー。どうでしたか、俺たちの演奏。」
マスターはびくともしなかった。
「かせ。」
ナリユキが俺からマイクを奪い取って、今度は自分で呼びかけた。
「すみませーん!マスター、どうでしたかね僕たちの演奏!感想とか聞かせていただけるとうれしいんですけど!」
マスターからは何も返って来なかった。
一瞬全員が黙った。
「死んでたりして。」
ダセイがぼそっと言った。
「ば、バカ言うなよ。」
ナリユキが否定した。しかし再び全員が黙った。
「カイショウ、行けよ。」
ナリユキが促した。
「え、なんで、おれ。」
「お前、最初もたついただろ、チームの風紀を乱したペナルティだよ。」
カイショウは何か言いたそいうに口をもぐもぐ動かしたが、諦めて言われるまま、舞台を降りた。
カイショウはおそる、おそる、マスターに近づき、ぽんぽん、とその肩を二回叩いた。
すると、マスターの体はずるり、と椅子から落ち、仰向けに地面に倒れた。
「うわああああああああああああ!!!!!!!」
カイショウが絶叫した。
マスターは白目を向き、口から泡を吹いていた。
「ま、まずいぞ!」
「うわぁ、どうなってんだ!」
「とりあえず、きゅ、救急車だ!救急車!」
俺は携帯を取り出して、大急ぎで119にダイアルした。俺が人生で初めて救急車を呼んだ日だった。
救急隊員は10分くらいで、到着し、マスターは病院に搬送された。俺たちは何がなんだか分からないまま、バラバラとその日は解散した。
その数日後、ナリユキが採用の結果を聞くために、例のライブハウスに電話すした。
どうやらマスターは入院してしまったらしく、しばらくライブハウスは休業することになったということだった。というわけで、俺たちの初売り込みは散々な結果に終わった。
その後、何軒かのライブハウスを回ったが、どこでも首を縦に振られることはなかった。あの日以上の演奏はすることができなかったし、次第に俺たちのモチベーションも下がっていった。一人抜け、二人抜け、やがてバンドは空中分解的に消滅した。
俺もその頃になると、自分の音楽的才能にはすっかり自信を持てなくなっていた。ナリユキとダセイはその後、大学に合格し、カイショウは消息不明になった。
俺はというと、もともと、どうにも大学受験へのモチベーションが上がらなかったので、そのまま、流行りの大手人材派遣会社に登録して、働くことにした。