こんにちは。

 

私の父親は、若くして誰もが知る有名企業の部長さんでした。

地方ではありますが、三つの県を束ねていました。

 

それゆえに、家に帰ればイライラして妻や子供へ当たり散らすことも、

いつも父の顔色を窺って生活しなければならないことも

仕方がないこと。と納得していました。

 

子供は親に逆らってはいけない。

お父さんはすごい人なんだから、そんな人に自分のわがままを言ってはいけない。

 

そう思って大人になりました。

 

仕事人間の父へ、母が頼み込んで一度だけ小学校低学年の時に

ディズニーランドへ連れていってもらいました。

 

私の記憶にあるのは、パレードが見えない私を肩車して、

肩が痛くなってしまったと顔をしかめる父の顔だけ。

 

不機嫌になるくらいなら、

ディズニーランドも肩車もいらなかった。

 

だけど、父の中では家族サービスをした。と満足なようで、

いまだに自慢げにいってきます。

 

世の中には、お父さんがそんなことで「連れていってやった。」と恩着せがましくいったり、些細なことでいちいち不機嫌にならず、

楽しいだけの旅行を何度でもしている家族がいることを私は知らなかった。

 

私は、静かにずっと怒っていた。

 

なんであんなに親に気を使う子供時代を過ごさなくちゃいけなかったんだ。

父に逆らうことができなくて、母に守ってもらえなかった。

 

私は、ここにいるだけで愛されて、喜ばれて、楽しんでもらえる存在ではなかった。

 

思いやりがあって、賢くて、いつも笑顔でいられない私は、

ダメな存在なんだ。と思い込むようになった。

 

だから、理想の自分になれない自分が大っ嫌いだったし、

両親に私の性格のことで嫌味を言われても、

 

 

「うん。私って終わってるよねW お前らもなかなか終わってるけどなW

でも、確かに私って最悪な存在だわ。産んでくれなんて頼んでない。」

 

「あーあ、生まれてきたくなかったな。」

 

 

そう思って、ずっと生きてきた。

 

 

悪いのは親だとは気づかずに。

自分ばかりを責めて、両親は一生懸命育ててくれたのに、私が悪いんだと自分を責めて責めて責めていた。

 

 

『私は悪くなかった。私に我慢を強いて、恐怖でコントロールしてきた両親がおかしかったのだ。私は愛されているんだという一番大切なことを教えることが出来なかった両親がおかしかったのだ。』

 

この事実を知ることに37年かかってしまった。

 

つまり、37年、損を重ねてきてしまったということだ。

 

 

辛かったことにも意味はある。

我慢したから今の幸せがある。

いいことの後には悪いことが必ずあるから、欲を出さないほうがいい。

 

違うよね?

 

人生ってもっと楽しんで生きていい。

楽して笑ってお金持ちになってもいいし、

幸せのあとには必ず不幸があるなんて馬鹿みたいだ。

 

もう、失った時間は帰ってこない。

私は、たくさん損してきた。

あんなに辛かった日々も乗り越えてきた苦労の先にも、幸せの道には続いてないってことをようやく思い知った。

 

こんなに頑張ったのに全部無駄なんて認められないよね。

 

だけど、私は認めた。

認めざるを得なかった。

 

だって、今まで信じてきた先にあるのは今の両親の姿。

私が向かっていた未来。

 

違う未来を掴みたいなら、今まで歩んできた道が間違いだったと認めて、

自分が行きたい場所へ歩み直さなくちゃ。

 

全く逆方向を歩いてきたんだから、これから進む道は知らないことだらけで

いちいち立ち止まるだろう。

 

だけど、今からは全部自分で決めて、誰のせいにもしないで、

ゆっくりでいいから一歩一歩自分の足で歩くんだ。

 

 

気づかせてくれた全ての出会いにありがとう悲しい