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生きづらさを感じ、心のことを学び始めてから更新がピタリと止まっていました。


というのも、感情がとりとめなくてうまく言葉に出来なかったからです。


正解がわからなくてもがき続け、ゴールに果たして辿り着けるのか?そんな不安でいっぱいでした。



まだまだ道半ばですが、

途中経過を少し記録したいと思います。



私の両親は、典型的な昔ながらな頑固親父。母はそんな父に合わせて控えめな人。


それが今までの私の中でのイメージ。

普通の家庭で育ったものだと思っていました。


しかし、とある心理学に出会って私の中の何かが崩れました。


30歳を超えて生きづらさを感じていて、母親に「感謝してる」とか、「親孝行しなきゃ」とか言ってる人は、母親との親子関係に問題がある。

それが原因で、自分を否定しながら生きてしまっている。と、いうのを見て、

ああ、私はこれだな。と腑に落ちる感覚がありました。



それから自分なりに両親と向き合っていく中で、

父はモラハラで自己愛パーソナリティ障害が入っているのでは?

母は、人に寄生することでしか生きられない弱い人間だったのでは?


と、自分の両親、生い立ち、環境などに落ち込む日々を乗り越え、


さきほどたどり着いた私なりの答えはこうです。



父は、戦後間も無く生まれ、ずっと男の子が生まれなかった家にやっとやっと産まれた待望の長男でした。

「長男ならば」「長男とは」「長男であるからこそ」

そんな家庭で生まれ育ち、ずっと鎧を着て生きてきた。

きっと、今もなお父の頭の中では亡くなった祖母が(父の母)「長男のくせに、長男のくせに、長男のくせに!」と、言い続けているんだろう。

だから、父はもう70を過ぎたのにいまだに鎧を脱げずにいる。

亡き母の求める長男像になれなかったことに罪悪感で押しつぶされそうになりながら、私の母に八つ当たりすることでなんとか命を繋いでいる。


母は、とても貧乏な家の生まれだった。

母の家は元は裕福だったらしいが、早くに父を亡くし母が女で1人で3人の子供を育ててくれたらしい。

そんな環境の中で、贅沢は敵、暮らしていくだけで精一杯、我慢我慢、苦労していればいつか救われる。人生楽しんだら後でバチが当たる。

といった価値観を持ってしまったんだろう。

そんな母は脳内で自分の母親に対して「ごめんなさい。私がいなければもっといい暮らしができたかもしれない。3人目の私はいらない子」と、思い続けているのではないか?



そう思うのは、私自身が

「3番目の私はいらない子」と、強く思ってしまっているから。



そんな両親に伝えたかった本音。

「もっとお母さんに輝いていって欲しかった。」

「もっとお父さんとお母さんに甘えたかった。」

「もっと大切だよ、かわいいね、宝物だよ。って抱きしめて欲しかった。」

「私は生まれてきてよかったんだ!!!って生きてることを全力で肯定して欲しかった。」



これだったんだなあ、と気がつきました。



これから先はこの本音を、実際にお母さんはぶつけていくことが課題となります。


これが一番怖い…


だけど、ここを超えなきゃ私は生まれ変わることが出来ない。



低空飛行の人生を変えたい!!!


そう強く願った時から、ここは避けて通れないんだ。

覚悟を決めなくちゃ。