自分が小学校3年生だった時、いじめにあった
きっかけは、クラスのリーダー的な子に、目をつけられてたから
その子とは幼稚園も一緒で遊んだりしていた事もあった
私が、他の子に対する態度が気に入らなかったみたいで
下校の時にすごく責め立てられたのを覚えている
向こうはいじめというよりは「正義」のつもりだったように思う
そのことから、自分を抑えて周りと同調する、ということを学んだ
周囲の状況を察知して、コントロールすれば危険を回避できる
しばらく、クラスの女子から無視されるという状況になった
担任の先生は、いじめについてクラスの女子で集まって話し合いの場を設けた
そのあと、私はいじめられた今までの事をノートに書いて提出した
何ページも書いた
先生はそのノートを添削してくれていたが、ノートを広げたまま席を離れていた
広がったままのノート。いじめた子が見つけ、みんなを呼び、みんなで読む。
私は、同じ教室内にいたけど どうすることも出来なくて 生きた心地がしなかった
いよいよ父親にいじめの相談をしたときに、いじめた子の家に電話をしてくれた
感情的にならず、落ち着いて話を向こうに伝えてくれたことを覚えている
父親は「そんないじめっこは殴っちゃえばいいんだよ」と。
今、思えば「暴力は良いの?」って思っちゃうけど
「自分の力で解決できるんだよ、おまえは強いから大丈夫!」と背中を押された気がした
いじめた子+取り巻き2人を階段の踊り場に呼び出し、一発ずつグーパンチした
今、思うと自分の事じゃないみたいだけど
すぐに、先生の耳にも入り 別室で
「殴るのは、犯罪と一緒だ」とその時ちょうどニュースでやっていた
政治家に対しての傷害事件と同じと言われた
先生に何を私は「正しい」と思っていた
父親に、いじめた子を殴ったと話したら よくやったと
一般論から言ったら間違ったことだと今ならわかる
でも、そのとき自分で問題を解決するために「切り開いた」感情は今でも忘れない
誰かが解決してくれるのを待ったり、逃げたりも必要かもしれないが
「自分でやる」必要がある時がある